Progress Report 4:復讐の雷跡果てるとき

ふうう。[終]まで書きました。
終盤は、エロもSMもそっちのけで、ひたすら戦争フィクション・海洋アクションです。


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脱走から反撃へ

 唯一の惨めな安息も、見張が交代するたびに取り上げられる。見張は、また二名に増やされていた。アンナの逃亡や反抗を懸念してではなく、より多くの兵に慰安を与えるのが目的だったろう。二時間前に射精して、まだ満足できない強者も少なくはない。三穴同時は男にとって嗜虐欲を満足させる形ではあるが、当人の肉体的快感はそれほどでもない。このときの四人も、二人ずつ二組になってアンナを犯していた。
 軍紀など海の向こうに置いてきたような淫放にあっても最低限の軍規は順守して、すくなくとも一人は見張の真似事を続けている。上官に見咎められる(ことはないとしても、からかわれる)のを怖れてかもしれないが。
 犯されているアンナに背を向けて、立哨ともいえない崩れた態度で無聊をかこっている二人の前に、白い影が現われた。
「Konbanwa...」
 白い影はアンナと同じで全裸だった。しかしアンナとは違って、傷や痣で汚れてはいない。有刺鉄線の鞭痕は、もう治ったのだろうか。
「Omae...?」
 誰何(すいか)ではなく、呆気に取られている声。
「Rentaichō-dono meirei.」
 白い影が見張の一人に抱き着いた。
「Rentaichō ga?」
 もうひとりの見張が、裸身に歩み寄った――その瞬間、二人の背後に黒い影が駆け寄った。星明りの下に微かな煌きが奔って――二人の見張は、後ろから首筋をナイフで突き刺されて、声も無く白い影に抱き着くようにして地面に崩折れた。
「Nanda'''?」
「Kisa...ma'!」
 中腰になってアンナの口に怒張を突き立てていた兵は、茂みから飛び出した三つ目の黒い影に、同じように首筋を刺された。四つん這いにさせたアンナの背後から取りついていたいた兵は、見張の兵を刺殺した二つの黒い影に押し倒されて――口をふさがれ心臓を刺突されて、これも瞬時に殺された。
「アンナ、しっかりして!」
 白い影が駆け寄って、四つん這いのまま呆然としているアンナの身体を揺すぶった。
 白粉の場違いに艶めかしい香りが、アンナの鼻腔を刺激した。
「え、ああ……お姉さん?!」
 裏返った叫び声をあげて、口をふさがれた。
「助けに来た。すぐに逃げるぞ」
 ブキャナンの声が(裸身に遠慮して)すこし離れたところから降ってきた。
 朦朧としている意識にまばゆい光芒が差し込んだ。
「あ、あああ……」
 ふさがれていた口から手が離れても、アンナは言葉を発せなかった。地獄を突き抜けた破滅の世界に、突如として出現した守護者と……女神。
「これを着ていなさい」
 ブキャナンが、自分の上衣を脱いでアンナに差し出した。まだぼうっとしているアンナに代わって、セシリアが着せ掛ける。
「立てるか?」
 アンナは立ち上がろうとして――突っ伏してしまった。
「担架!」
 ブキャナンの背後に控えていた二つの黒い影が、鉄パイプとロープを組み合わせた即席の担架を地面に広げた。アンナはブキャナンに助けられて、担架に転げ込む。
 間髪を入れず二つの黒い影が担架を持ち上げ、病人を運ぶ慎重さなどうっちゃって小走りに駆け始めた。
 アンナは担架に横たわって頭をねじり、二つの黒い影に視線を向けた。トマス・ウィリアムズとイアン・フロレンス。魚雷艇に便乗してい(て、生き残っ)た整備兵だった。
 ブキャナンが先頭に立ち、素早く衣服を整えたセシリアが担架に付き添って、基地へ続く道へと踏み入った。その途中で二人の兵隊が倒れているのにアンナは気づかなかったが――それが、この救出劇に(鞭痕を白粉で隠してまで)セシリアが加わった理由だった。
 しかし、彼女はブキャナンたちと共に脱走するのではなかった。基地への道を三分の一ほど戻ったところで、一行は立ち止まった。
「ここで、お別れします。あなた方の上に神の祝福がありますように。精霊の御加護がありますように。御子の……」
「どういう意味なの?!」
 アンナが叫んだ。悲鳴の響きを帯びていたが、敵に聞かれないように声を抑える分別は取り戻していた。
「私は娼婦として、この地に留まります」
「そんな……駄目よ! 逃げなくちゃ!」
「私が逃げたら、残った者たちが罰せられるでしょう」
 セシリアの声は、対照的に澄明だった。
「それじゃ……アマルもビビアンも一緒に」
 セシリアが静かに首を横に振った。
「残された五人が罰せられます。全員が逃げたら――また、別の女性が連れて来られるだけです。彼女たちは、娼婦としてさえも遇せられないでしょう。逃亡を防ぐために、おそらく……」
 セシリアは黙して、アンナの目を覗き込んだ。おそらく、あなたと同じような目に遭わされる――セシリアの沈黙は、そう語っていた。
「でも、でも……戻って、見つかったら……」
「それは大丈夫だ」
 ブキャナンがセシリアの横からアンナを見下ろして断定した。
「俺たちもシスターも、バックドアから出てきた」
「バックドア……?」
「歩きながら説明する。時間が無い。成すべきことは幾つもある」
 セシリアがアンナの額に指を触れた。
「さようなら。そして……生きよ!」
 本物のシスターよりも気高く、セシリアはアンナに命じたのだった。
 アンナが気圧されているうちに、担架は道を折れてジャングルへと分け入った。
「俺がアンナに娼婦になれと言ったのも、バックドアがあるからだった」
 ブキャナンが先導して道なき道を駆け抜けながら、アンナに説明する。
 兵舎も倉庫も、量産されたフレームにパネルをネジで取り付けて建設する。フレームにネジ止めするのではなく貫通させてボルトで締めれば、内側から簡単にパネルを着脱できる。MIL規格には無い仕様だが――こっそり兵舎から脱け出して他愛ない悪徳に耽る目的で、兵隊が(嘆かわしいことに下士官まで)勝手に改造するのが、もはや暗黙のルールにさえなっていた。
 倉庫を改造した営倉までもが、然りだった――とまでは、ブキャナンは説明しなかった。何度か、アンナが木箱の檻で犯されている現場まで目撃していたとは、きっと棺桶の中まで持って行くだろう。
 アンナはアンアで、ところどころの樹木に小さな白い布が巻き付けられているのに気づいていた。救出に先立って、逃げ道の下調べがされていたのだろう。
 一時間以上を掛けて辿り着いたのは、5ヤードほどの断崖だった。
 ブキャナンが信号拳銃を取り出して、上空へ発射した。赤い閃光が闇を引き裂く。
 こんなことをしたら、逃げたのを教えるだけだ――アンナがブキャナンの正気を疑った直後。
 ドンドンドンドンドン……
 80エリコンの発射音が聞こえてきた。
「あれは……?」
「ピート、日本軍の飛行機だ。一昨日、もう日付が変わったから三日前か。整備棟の横でやけにでかいバラックを海の上に作ってると思ったら、掩蔽壕(bunker)だった。二度と飛ばしてなるものか」
 カタリナを迎撃した水上飛行機の格納庫だと、アンナは理解した。80エリコンは炸裂弾だ。木っ端微塵になるだろう。
 それ以上に大事なことに、アンナは思い至った。
「じゃあ、やっぱり……魚雷艇は、とっくに修理できていたのね。あたしが檻に閉じ込められていたから……」
 救出のチャンスを待っていた――のだろうか。敵を暗殺するのは、今夜はうまくいったけれど、リスクが大きい。こっそりバックドアから逃げ出せるのなら……
「そうではない」
 ブキャナンが即座に否定したが、これまでと違って断定の響きが失せていた。
「元々、あのベニヤ船はエンジンが不調だった。三基のうち二基しか動かない。それと、他のエンジンにも不具合があるとジャップどもを騙してやるつもりで……馬鹿なミスをしたもんだ。一基をほんとうに焼きつかせちまった」
 修理はしたが、運転できるのは短時間で、しかも半分の出力しか出せないと言う。それでも脱走に踏み切ったのは。
「これ以上長引かせるとアンナが死んでしまう――というのは、申し訳ないが副次的な理由でしかない。脱走を今日に決めたのは、あれだ」
 ブキャナンが沖合を指差した。海面が星明りを反射して、四隻のシルエットがくっきりと浮かび上がっていた。大きな二隻は停泊している。その手前と左の遠くを、小さなシルケットが波を蹴立てていた。輸送船と、哨戒中の駆逐艦だ。
「左側のでかいやつ。分かるか?」
 アンナはさらに目を凝らした。ふつうの輸送船は船腹が倉庫(や、兵員室)になっていて、甲板上の構造物は艦橋(bridge)と荷役マスト(derrick post)くらいのものだ。ところが、ブキャナンの指差した船は、甲板の上にアパートメントが横たわっている。そして、船首側からは長い腕が水平に突き出している。その腕の根元には……
「水上飛行機! あれは、いったい……?」
「水上機母艦(seaplane carriar)とでも呼ぶシロモノだ。あのカタパルトからピートが射ち出されるのを、EEが目撃している」
 さっきの銃撃で、掩蔽壕にある飛行機は破壊された。でも、あそこにまだ残っている。
「まさか、あのアパートメントは……?」
「水上機の格納庫だとしたら、半ダースじゃすまないな」
 いくら巨大な牛でも、六匹もの野犬に襲われたら……
「俺たちは、あいつを沈める」
 ブキャナンが、力強く言い切った。
「でも、どうやって……そうか、魚雷ね」
 分厚い装甲で鎧われた巡洋艦(さすがに戦艦は難しいけれど)を一発で撃沈する魚雷だ。ぺらぺらのブリキで造られた輸送船なんか問題じゃない。
 打ち砕かれていた魂が炎を上げて燃え始め、新たな生命を得て甦りつつあった。
「せっかく救い出したアンナを危険に曝すことになる。魚雷を射つ前に砲撃を食らうかもしれないし、今のPTでは駆逐艦から逃げ切れない」
 黙っていればアンナには分からないだろうことまで、ブキャナンは打ち明けた。馬鹿正直(もちろん敵は除く)が彼の性格だが――魚雷艇の二十倍も大きな駆逐艦よりもさらに巨大な船に向かって突進するとき、アンナに取り乱してほしくないという配慮だったのかもしれない。しかし、不要な配慮だった。
「かまわない!」
 アンナは叫んだ。
「あたし自身が魚雷に乗って、操縦したいくらいだわ」
 魚雷は(砲弾に比べて)速度が遅いし、調整が難しい。静止している目標を狙ってブキャナンさんが仕損じるとは思えないけれど、水雷長だったボブソンさんは戦死した。
 ブキャナンがアンナの頭に手を置いて、汚れ放題になっている髪を、いっそうくしゃくしゃにした。
「その必要はない。ゼロ・ゼロ雷撃だ。母艦に二発、駆逐艦に一発ずつ叩き込んでやる」
 ブキャナンの言葉に呼応するように、エンジンの響きが聞こえてきた。いつもの、三基の1350馬力が奏でる重厚なハーモニーではない。ドドドドドド……物悲しい響きにさえ聞こえた。
「一基だけだと、あんなものかな。それでも全開にすれば25ノットは出せる。ポンコツの一基を動かさえば短時間だが30ノットまでは大丈夫だ」
 アンナの不安を察知して、ブキャナンが(たぶん自分自身を含めて)力づける。
「25ノット? 三基のうちの一基だけで?」
 25ノットでは駆逐艦よりも遅いけれど、島陰に隠れながら進めば、容易には追いつかれないだろう。
「馬力と速度は単純な比例ではない」
 担架を分解したロープを、アンナの腋の下に通しながらブキャナンが説明を始めた。
「待って……どうして? あたしを崖から吊り下ろすためね。でも……もっと先まで行けば砂浜もあったはず」
「あっちの輸送船から運ばれた物資の集積所になっている」
 魚雷艇の基地(現在は日本軍の司令部)に運ばれたと思っていたのだが、そういえば、駆逐艦から基地へ連れ戻されたときにも、山積みの物資を見た記憶がなかった。島全体を防衛するのなら、物資もあちこちに分散させて揚陸するのが合理的だ。
「空気や水の抵抗が速度の二乗に比例するのは、学校で習っているかな」
 アンナがこの地点での乗艇に納得すると、ブキャナンは講義を再開した。
 抵抗と速度は二乗則だが、馬力とは力に単位時間あたりの移動量を掛け合わせた値になる。つまり二倍の速度で魚雷艇を走らせるには、速度の二乗に比例する抵抗力に打ち勝って、なおかつ二倍の距離を動かさなければならない。速度は馬力の三乗に比例する。
筆者注)
数万トンの戦艦は10万馬力程度のエンジンで25ノット超ですが、千トンの駆逐艦が35ノットで走るにはおよそ3万馬力を要します。形状による抵抗の差(細長い駆逐艦のほうが有利:速度に関係しない)があるし、造波抵抗による馬力ロス(高速の駆逐艦のほうが不利:速度に依存する)もあるから単純な三乗則ではありませんが、桁数としては大きく間違っていません。なお、排水型の戦艦や駆逐艦に比べて、滑走型の魚雷艇は造波抵抗が小さいので、馬力と速度はほぼ三乗則に従います。

「だから、三分の一の馬力でも七割ちかい速度が出せるのだ。分かったかな?」
 分らなかった。でも、ブキャナンさんが断言するのなら、正しい。それに、魚雷艇が目の前に迫っていた。
 艇尾に星条旗を翻した魚雷艇はエンジンを絞って惰性で接近して、直前にエンジンを吹かしたり舵を左右に振ったり後進をかけたり――すこし手こずったようだが、断崖に舷側をこすりつけるようにして停止した。
(ブキャナンさんだったら、一発で決めてるわね)
 ブキャナンへの信頼が、そんな感想をアンナにもたらした。
 アンナがロープで吊り下ろされ――最後は垂直の崖を蹴って、甲板で待ち構えていた甲板員のEEとジム・マイヤーの二人に抱き止められた。そのロープを伝って、二人の整備員とブキャナンも降りてくる。
「駆逐艦も気づいたみたいだな。急ぐぞ」
 二隻の駆逐艦から伸びる何本もの光芒が海面を走査している。それまでは二本煙突のうちの一本からしか出ていなかった煙が、二本に増えていた。
「まっすぐ水上機母艦に突っ込む。雷撃は二本。転舵して駆逐艦に一本ずつだ」
 それまで操船していたゴードンが本来の持ち場である機関室に戻り、機銃手のマイヤーが80エリコンに、整備兵のウィリアムズが連装50ブローニングに取りつく。甲板員のEEが魚雷を担当して、もうひとりの整備兵も臨時の雷撃手。
「危ないから下に隠れていなさい」
 キャビンに押し込まれかけて、アンナが抗議した。
「あたしにも手伝わせて。いいえ、復讐の機会を与えて。魚雷を射たせてください」
 複雑な調停なんかは手に負えないけれど、圧搾空気バルブの操作から発射くらいはできる。遊び半分で教わって、それでも訓練用魚雷を発射した経験も一度だけあった。まったく経験のない整備兵のフロレンスよりは上手に操作できる自信が――あろうとなかろうと、自分の手で日本軍に一矢報いてやりたかった。自分には、その権利がある。
 約一秒。ブキャナンはアンナを見詰めた。そして、うなずいた。
「右舷を任せる。第二と第四発射管だ。俺の命令と同時に射て。さっきも言ったが、ゼロ・ゼロだ。調停装置には絶対に触るなよ」
「はいっ!」
 臨時の雷撃手に予定されていた整備兵は機関砲の旋回手にまわって、全員が配置に就いた。不調のエンジンも稼働させて、魚雷艇はその時点で可能な最大速度で突進を始めた。
 たちまち、サーチライトが集中する。魚雷艇は不規則なジグザグ運動を繰り返しながら、沖合へ突進する。
「一番および右舷の二番魚雷、発射用意!」
 スピーカーを通さないブキャナンの肉声が、エンジンの轟音を圧してブリッジから降ってきた。
 アンナは圧搾空気のバルブを解放して、発射装置の安全弁を解除した。あとはボタンを押すだけ。
 本来の発射操作は、ずっと複雑である。目標が回避運動をしても一本は命中するように、複数本の魚雷に扇状の針路を設定する。さらに、馳走深度も調停する。深いところで爆発すれば、水圧が大きいので浸水量も増える。しかし、魚雷が船底よりも深く走れば、当然だが命中しない。ゼロ・ゼロ雷撃では、どちらも省略する。斜め前方に射出された魚雷は、内蔵のジャイロコンパスで制御されて、発射直前の魚雷艇と同じ針路に転舵する。馳奔深度はゼロ。実際には小型駆逐艦の喫水深さくらいに合わされている。
 静止している輸送船には、この射法でじゅうぶんだ。EEは本来の魚雷員ではないし、アンナにいたっては素人。下手に調停しても失敗する。
 ズバーン! ドーン!
 魚雷艇の前方に大きな水柱が立った。直後に、砲声。砲弾は音速より速いから、因果律が逆転したような現象になる。目標が小さいから距離の測定を誤っている。
 魚雷艇は回避運動を放擲して一直線に突進する。船影は遠い。シルエットだけからは判別が難しいが、まだ1マイルはあるだろう。しかし。
「一番発射! 二番発射!」
 兵士にとって必要なのは命令の即時実行である。なにも考えずに、アンナは発射装置のボタンに拳を叩きつけた。
 シューッ! ザンッッ!
 発射管から飛び出した魚雷が、魚雷艇の掻き起した波を跳び越えて水中に躍り込んだ。
「右回頭する、つまかっていろ!」
 飛行機のように艇体を傾けて、魚雷艇は右へループを描く。細長いループで距離を調節しながら三百度の急旋回。舵が中央(midship)に戻ったとき、右舷前方に駆逐艦のシルエットが見えた。
 アンナは自分の任務を思い出して、四番魚雷の発射準備を調えた。
 ズバドーンンッ!
 左舷後方に立った水柱と砲声が同時だった。それだけ、距離が近い。
 魚雷艇は細かく不規則なジグザグ運動を繰り返しながら、駆逐艦の右舷へと進出していく。
「魚雷命中まで5秒!」
 不意にスピーカーが叫んだ。
 アンナは右舷後方を振り返った。水上機母艦は、数秒後の死を知らずに眠りこけている。二条の白い雷跡が、その間近に迫っていた。
「3……2……1……命中!」
 しかし、何も起きなかった。
「……なんだと?!」
 スピーカーが当惑の叫び声を伝えた。
 二秒、三秒……計時の間違いではない。魚雷は二本とも不発だったのだ。
「くそ……! 駆逐艦なんか、知ったことか!」
 魚雷艇が左へ急旋回した。目の前の敵を顧みず、あくまでも水上機母艦を仕留めるつもりなのだ。
「ブキャナンさん!」
 アンナはエンジンの轟音に負けまいと声を張り上げて、ブリッジに向かって拳を突き上げた。駆逐艦なんか、知ったことじゃない。自分の命だって、知ったことじゃない。あいつを沈めなければ、カタリナが撃墜される。飛行場が完成する。そんなことよりも……アンナには、いちばん大きなシルエットが、そのまま、自分を迫害した敵そのものに見えていた。
 ふたたび、魚雷艇は大きなシルエットに向かって突進を開始した。
 艇の後方至近距離に水柱が噴き上げた。これが戦艦の主砲だったら、爆風と断片だけで魚雷艇は大破していただろう。しかし、駆逐艦の主砲はせいぜい5インチ。豆鉄砲だ。だからこそ、機敏な魚雷艇の動きを追いかけられるのだが。
 前よりもいっそう肉薄する。もはやシルエットではなく、はっきりと船の細部まで見分けられた。あと千ヤード……
「三番、四番、発射!」
 まだ遠いと思いながら、アンナはボタンを叩いた。
 ほとんど同時に二本が射出された。魚雷が水中に没すると同時に、魚雷艇は右へ転舵した。
 アンナは振り返って雷跡を探したが、見えるのは自艇のウェーキだけ。
「まだだ……」
 不意に肩に手を置かれて、アンナは身を硬くした。被虐の記憶が甦りかけた。
「発射直後の魚雷は深く沈む。まだ見えない」
 EEだった。魚雷を射ち尽くした後はブローニングの旋回手を務める予定になっていたが、駆逐艦相手に機関銃が役に立つ距離に接近するまでに、こっちは穴だらけにされているか木っ端微塵になっている。
「もうすぐだ……ほら、あそこ!」
 EEが指差したあたりに、白い気泡が筋を引いて浮かび上がってきて、魚雷が空中に飛び出た。が、すぐに着水して潜り――そこからは二条の雷跡が、一直線に伸びていった。
 魚雷艇が舵を戻して全速力で駆逐艦を引き離しにかかったとき……
「命中まで3秒……2……1……」
 エンジンの咆哮に紛れて、ごおんという鈍い音を聞いたのは、たぶん錯覚だろう。
「くそっ……またか!」
 二発の魚雷が、またも不発だったのは疑いようのない事実だった。
筆者注)
米軍のMk14魚雷は不発が多く、戦争中期まで改善されませんでした。
六本の魚雷を斉射して、全弾命中全弾不発という戦例があります。
潜水艦の艦長は航海日誌に
Hit......No effect!
Hit......No effect!
Hit......No effect!
Hit......No effect!
Hit......No effect!
Hit......No effect!
と、書き殴ったとか。
特設油送船『第三図南丸』は、12本の雷撃を受けるも10本が不発。船腹に魚雷を突き刺したまま生還して、その有様が髪に簪を刺した遊女のようだとして「花魁船」と仇名されたとか。
四発全弾不発なんて、有り得過ぎる偶然でしかありません。



絶望の最大戦速

「Fuck you!」
 女性が同乗していることも忘れて、ブキャナンの怒声がスピーカーから響いた。が、すぐに冷静に立ち返って。
「こうなったら、仕方ない。俺たちは、出来る限りの仕事をしたんだ――ずらかるぞ!」
 魚雷艇は水上機母艦を左舷にかわして、ジグザグ運動を続けながら沖へ逃げた。
 駆逐艦の一隻が艦首をこちらへ巡らすのが見えたが、2マイルは離れている。しかし、燃やした重油で水を加圧沸騰させるタービンエンジンだから、最大馬力を発揮するまでには何分もかかる。ぐんぐん引き離していく。
 島を大きく回り込んで――そこで、焼き付きを修理したほうのエンジンが息絶えた。これで、最大速度は25ノット。一直線に逃げれば、駆逐艦に追いつかれるのは時間の問題だった。
 ブキャナンは、わざと針路をオーストラリア本島へは取らず、大小の島が連なっている南西を目指した。
 この海域に他の魚雷艇部隊は存在せず、おそらく潜水艦もいない――という事実を、日本海軍が把握していなければ、海上戦力の半分までを割いて、たかが一隻の魚雷艇をしつこく追跡するとも考えにくい。魚雷艇は航続距離が短い。エンジン一基だけでは負担が苛酷でもある。島陰に潜んで敵をやり過ごすのが賢明だろう。
零式水観  しかし……
 不意に海面が煌々と照らされた。サーチライトではない。水平線に艦影は見えなかった。
 グワアアアンンン……
 頭上にエンジンの音が迫った。
 ひゅうんという微かな風切り音。直後に、艇首すれすれに水柱が立った。
 ドバアアン!
 水柱を飛び越える水上機のシルエットが見えた。
「くそ! 追ってきたか!」
 ブキャナンが怒鳴った。怒鳴る前に転舵している。
 水上機が急旋回して、まっすぐに突っ込んできた。
「物陰に隠れろ!」
 スピーカーの声にはじかれたようにEEがアンナに飛びついて、魚雷発射管の下に転げ込んだ。
 タタタタタ……
 50ブローニングに比べてさえも軽い発射音。それでもベニア合板が引き裂かれて、断片が四散する。
「闇夜に飛行機を飛ばすなんて……無茶苦茶だ」
 アンナを自分の身体で庇ったまま、EEがうなった。
 夜間飛行は珍しくないが、それは高空を飛ぶ場合に限られる。魚雷艇を攻撃するには低空飛行が要求される。星明りを反射するだけの海面は、高度の判定が難しい。引き起こしのタイミングを間違えれば、突っ込んでしまう。
 グワアアアンン……
 別の方角からのエンジン音。水上機母艦は二基のカタパルトを備えている。即時投入できる全戦力を注ぎ込んできたのだ。
 魚雷艇が、あえて飛行機に正面を向けた。追いかけられるよりは正対して突っ込んで、敵に見越し角を誤らせるほうが直撃を食らわない可能性が大きい。
 しかし、水上機のパイロットは歴戦のベテランだった。機首を引き起こして、魚雷艇の直上を飛び越すなり、急旋回して追尾に移った。
 ダダダダッ……
 ブローニング連装機銃の射撃音がはじけた。
 魚雷艇が転舵した。ブローニングは射ち続けている。
 ダダダダダダダダダ……
 魚雷発射管に遮られた視界に飛行機が映った。ブローニングの火箭は、はるか後方を追いかけているだけだった。
 いかに軽快な飛行機でも、旋回能力では魚雷艇にかなわない。ブキャナンは敵機を引き付けて、有効射程のわずか手前で、また急旋回した。
 EEもアンナも、魚雷発射管の下にうずくまったまま、身動きが取れない。下手に身を起こせば、銃撃されるより先に魚雷艇から振り落とされる。
 グワアアアンン……
 水上機は左へ流れて艇尾を掠めた。そのまま左旋回をして、魚雷艇の鼻先を押さえる形で回り込んでくる。
 魚雷艇は右に舵を取った。これでは、同じ場所で右往左往するばかりで、じきに駆逐艦に追いつかれる。
 タタタタタ……
 最初にかわした水上機からの銃撃。
 ガンガンガンと、不吉な金属音がして――魚雷艇のエンジンが咳き込むと、ぱたっと静かになった。
 万事休す。エンジンをやられたのだった。
 ボオオオオオオーッ
 汽笛が暗い海面をどよもした。水平線の向こうに、駆逐艦のブリッジが浮かび上がっていた。
 ブキャナンがブリッジから降りて来て、アンナの前に膝を突いて頭を垂れた。
「すまない。きみを巻き込んでしまった」
 ブキャナンは、そのまま動かなくなった。
 その心中を察して、アンナも言葉がなかった。
 敵は戦時国際法を無視して、捕虜にはアンナを人質にして利敵行為を強要し、そのアンナには性的虐待を含むあらゆる虐待を加えた。集団で脱走して敵対行動を取った捕虜には、どんな待遇が待ち受けているのだろうか。
 ブキャナンの頭にあるのは、自分への処遇どころか、部下への処遇でさえなかっただろう。これからアンナがどんな酷い目に遭わされるか、それを自分のことのように恐怖しているのだ。
 ブキャナンさんが想像するより、ずっと残酷な殺され方をするはずだ――そのことを、アンナは確信している。Λ形の木馬に乗せられて、身体がまっぷたつに裂けるまで足に錘を吊るされるかもしれない。倒したH形に吊るされて、ほんの1フィートも長い(丸棒ではなく尖った)棒の上でぶん回されれば、先端は心臓にまで達するだろう。あの有刺鉄線の鞭で息絶えるまで打ち叩かれるかもしれない。それとも、ギロチン磔にされたまま死ぬまで解放されずに犯され続けるのだろうか。
 ……恐怖に喚きそうになって。アンナは立ち上がって、大きく頭を振った。
「あたしは、後悔していません。最後にはスパイとして処刑すると、あいつらはあたしに保証してくれました。そうでなくても、あんな拷問を続けられたら、きっと心臓が止まっていたでしょう」
 アンナは、無理をして笑顔を作った。
「だから、あたしはブキャナンさんもゴードンさんも、EEもマイヤーもウィリアムズもフロレンスも……誰も恨みません。でも……」
 アンナは手すりにつかまって身を乗り出し、海に向かって叫んだ。
「くそったれな魚雷を作った馬鹿野郎ども! あなたたちは、絶対に赦さないんだからね。自分のチンポを噛み切って死にやがれえええええ!!」
 考えつく限りの卑猥な言葉で罵った。
 そして、ブキャナンに向かっておねだりをする。
「この軍服、ずっと貸していてくださいね。正式に任命されたわけじゃないですけど、アメリカ軍の兵士として死ぬのも悪くないかな――そう思います」
 すでに駆逐艦は200ヤードほどの距離で停止していた。アンナたちを捕らえるべく、兵士を乗せたカッターボートが海面に吊り下ろされようとしている。


          [終]

========================================

 え? これで終わり?
 はい、そうです。しかし、[完]ではありません。
 [終]に続けて、こんな一文があります。

 最終章には、残酷描写があふれています。リョナやグロを嫌悪される読者は、ここで読了してください。
 最終章は、後書きの次頁から始まります。

 ネタバラシすると。アンナを中央にして、左右に男どもが二人ずつ、樹に縛りつけられます。
 新兵の度胸付けに――銃剣突撃が繰り返されるのです。ただし、アンナだけは肉剣突撃。男たちが断末魔にのたうつ中、延々と凌辱されるのです。
 ただひとり生かされて……昼は連隊長の玩具、夜はロハマンコとして。まあ、1週間後か1年後かには息絶えるでしょうが、それは[完]の後のことです。
 具体的な描写は、製品版(2022年1月中旬発売予定)で、リョナ好きの読者はお愉しみください。



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