Progress Report 1:Extra Sensory Penetration

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 時給千円の居眠り中にも書き進めようという目論見は、あえなく挫折しました。A4ノートPC(ヤフオク¥13,000)を裸で鞄の底にぶっ込んで持ち運んだのが敗因。画面がグチャりました。でも、20枚くらいは、これで書いたので、原稿料は650円??
 これからは、スマホとタッチペンでチマチマ書くかもです。
 さて、今回は第1章まるごと3万文字を掲載します。
 時空を超えて5人の視点を一人称で書くという無謀な試み。しかし、責めシーン以外は超特急で、SFは味付けだけです。


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1.発動


 なんとなくだけど、今日は大学に行きたくない。ティムとの激しい一夜と九時までの寝坊とで、心身ともにリフレッシュ。ベストコンディションのはずなのに。心の奥底のもっと下のあたりで、得体のしれない不安が蠢いている。
 おっと、赤信号。ぼんやりしてて車にはねられたなんて、洒落にもならない。今日は陽差しが強いしオフホワイトのワンピースだから(肌は白いし髪は淡い金髪だし)、自動運転車に私の姿が認識されない危険がある。
 ……グリーン、Go!
 しばらく歩くと、カラーコーンが歩道をふさいでいた。トラフィックガードがライトセーバーで人と車の誘導をしている。カラーコーンで区切られたエリアでは、馬鹿でかい看板が宙吊りになっている。前からあったブリキの(やっぱり馬鹿でかい)看板をLEDディスプレイに取り換えているようだ。
 邪魔っけだなあ。深夜に工事すればいいのに。看板を見上げながら、カラーコーンに沿って車道を歩く。
 視界の上端で、何かが弾けた。ぐらりと、宙吊りの看板が右に傾いた。切れたワイヤーが垂れかかって……ジーザス! 左を吊っているワイヤーが弾け飛んだ!
 看板が地響きを立てて歩道に落ちる。一瞬、右に傾いたまま垂直に立ってから。ゆっくりと私に向かって倒れてきた!
 反射的に、私は走った。黒い影が車道に落ちる。視界の右上から看板が覆いかぶさってくる。走り抜ける時間はない。振り返ると――さらに絶望的。
 さっきの信号で引き返しておけばよかった。もう三十分も寝坊しておけばよかった。一瞬の後悔が、真黒な恐怖に塗りつぶされていく。逃げられない……!
 無数の黒点に埋め尽くされた巨大な壁が、ゆっくりとのしかかってくる。
(死にたくない!)
 突然の、絶対的な……恐怖と衝動。
「わあああああああっ……!!!」
 叫んで。黒い壁に向かって両手を突っ張った。
 瞬間。私の奥底でなにかが爆発した。
 視界一面に膨れあがっていた巨大な壁が微塵に砕け散った。
 破片が、カラーコーンが、人が、車が、私のまわりから消え去った。
 視界が真っ白に染まって…………
 ………………
 …………
 ……ですか?
「だいじょうぶですか?」
 目を開けると、真上に人の顔があった。私を覗き込んでいる。
「落ち着いて。ゆっくり深呼吸しなさい。あなたは誰ですか?」
 青いシャツを着た男だった。私の首筋に手を当てている。
 ああ、そうか。この人は救護隊員だ。私の生命レベルを確認しているんだ。
「私はミランダ・ファーロウ。十九歳。学生です」
「負傷の有無を確認します――失礼」
 男は、私の腕と脚を軽く曲げて――驚きと安心とをごちゃ混ぜにした表情になった。
「脚に擦り傷がある他には、負傷していないようですね。立てますか?」
 私は救護隊員に助けてもらって立ち上がった。
「歩けますね? あそこで応急救護テントを作っています。そこへ行って、しばらく休んでいてください」
 救護隊員は私の右手首にトリアージタッグをそのまま(緑の部分を残して)輪ゴムで留めると、五mほど先に倒れているスーツ姿の男性の救護に取りかかった。その男性は、腰の上のあたりで横向きのV字形に身体が折れ曲がっていた。
 何が起きたのか考えることもできず、私は白昼夢の中を設営中のテントに向かって歩いた。
 数十メートルの距離を歩きながら、次第に周囲の様子が分かってきた。幾つものサイレンの音と怒号とが入り乱れている。自動車が何台も横転している。ビルの三階の窓に突き刺さっている自動車もあった。担架が右往左往しているが、道路にはまだ多くの人が倒れている。不自然にねじ曲がっていたり、手足が千切れている死体もある。あの看板が爆発でもしたのだろうか――まだ感情が麻痺しているのか、わりと冷静に、そんな考えが頭に浮かんだ。
 テントの手前で、白色の防護服を着た人たちに取り囲まれた。
「あなたが中心にいた人ですね」
 私のトリアージタッグを手に取って、うなずく。
「汚染されている懸念があります。こちらへ来てください」
 手を引かれて、突然に恐怖がこみ上げてきた。汚染……にではなく、この三人に対しての言い知れない恐怖。
「待って……」
 手を振りほどこうとした瞬間、首筋に小さな痛みを……

<<魔女水刑

 外の気配が揺れている。規則正しい足音が近づいて来る。蹄の音も混じっている。何事だろう。外へ出ると、領主様と司祭様が轡を並べて、その後ろには十人ほどの兵士が続いている。ここは街道から離れた小道。先には森しかない。
 もしかすると、私に占いの御用でもおありなのだろうか。身に余る光栄ではあるけれど、卦が悪く出てご機嫌を損ねたら一大事。
 着替えている時間はないので普段着のままで膝を突いて、一行をお迎えした。
 ざざっと、兵士たちが私を取り囲んだ。ただ事ではない。
 領主様が私の前まで馬を乗り掛けて、剣を抜き放った。その切先を、私の顔すれすれに突きつける。
「イレーネ・グリュン。ヘラ・マイヤーを殺害した魔女として、おまえを投獄する」
 まるきり身に覚えのないことではなかった。けれど、どうすればこんなにも曲解できるのかと呆れてしまう。
 ヘラが埋められている森の中の窪地を千里眼で見通したのは、私だった。行方不明になって三か月もしてから、まるで拷問でもされたように全身傷だらけで、ひとひらの布さえも与えられずに土深くに埋められていたヘラ。
 これまでにも、私は多くの失せ物を探し当ててきた。けれど、財布を盗んだとか鶏を殺したとか、疑われたことなどない。
 私がヘラを殺したのではないし、魔女なんかでもない。空を飛んだり人を呪い殺したり疫病を流行らせたりは(しようとも思わないけれど)できない。惚れ薬は、互いに憎からず思っている男女のあいだの垣根を、ほんのひと時取り払ってあげるだけでしかないし。野山に生えているある種の草には痛みをやわらげたり傷の治りを早くしたりするものがあるというのは、母の出自である放浪民の間では広く知れ渡っている。
 もしも私が不可思議な力を持つ魔女であるのなら、半ポンドの小麦のためにスカートを脱いだりするものですか。
 しかし、そんな申し開きをする暇も与えられず――私は兵士に押さえつけられた。
「呪いの言葉を紡がせるな。悪魔を招き寄せる両手を封じよ。呪具を隠し持っていないか、厳重に検めよ」
 司祭様が矢継ぎ早の指図を飛ばす。
 兵士たちが私の口をこじあけて丸い革袋を突っ込み、紐で頬を縛った。みっつの穴を穿った首枷で両手の自由も奪われた。
 首枷を引っ張られて立ち上がる。領主様や司祭様に逆らうつもりはないけれど、あまりにも理不尽な扱いに怒りが(そして、それ以上の恐怖が)込み上げてくる。
 兵士の手が、私の身体をまさぐる。乳房をこねくり、尻をわしづかみにして、股間にさえも手を差し入れてくる。
「それでは見落としが出るぞ。素裸に引ん剝いてしまえ」
 領主様がとんでもないことを言う。兵士どもはためらうどころか、女に飢えた男がするような乱暴な手つきで、私の衣服を引き千切っていく。乳房が白日の下に晒され、それどころか腰を包んでいる布までが奪われた。
「何も隠し持っておりません」
 隊長らしい男が、領主様を振り返って告げる。
 領主様が馬から下りた。
「短剣を貸せ。違う、鞘もだ」
 兵士から鞘ごと短剣を受け取ると、私の前に立った。
「女には、とっておきの隠し場所があるのを知らんのか。そいつを寝かせて、股を開かせろ」
(…………?!)
 領主様のしようとしていることが、私にも分かった。
「ん゙む゙ゔ……む゙うううう!」
 腰をよじり、両脚を渾身の力で閉じようとした。けれど、屈強な男どもに寄ってたかって腰を押さえつけられ足を引っ張られては、無駄なあがきにすらならなかった。
 領主様が私の開かされた脚の間にしゃがみ込んだ。首枷が邪魔で、手の動きは見えない。
「も゙お゙お゙お゙……!」
 ずぐうっと、股間を鈍い痛みが貫いた。男よりは細いけれど、鞘は角張っているし装飾が出っ張っている。それが、股の奥を容赦なくえぐった。えぐって、ぐりぐりと掻き回す。脳天まで鋭い痛みが突き抜ける。
 突っ込まれたときと同じくらいの痛みを引きずりながら、鞘が抜き取られた。
「脚を高く掲げろ。腰を浮かすのだ。男女に共通する穴も調べねばならん」
 悪魔でさえ思いつかないような破廉恥な企みを、領主さまは平然と言った。いや、すこし声がうわずっているようにも聞こえた。
「んんんんん……」
 抵抗する気力も失せて、私は悲しく呻いた。私の意志は、まったく無力。どんなに理不尽な暴虐でも、嵐が通り過ぎるまで耐えるしかない。
「む゙い゙い゙い゙い゙っ……!」
 灼熱した鉄棒をねじ込まれたと思ったほどの激痛が、尻に押し入ってきた。二年半まえに初めて男を股の間に迎え挿れたときよりも、ずっと激しくて重たい痛み。それが腸の奥深くまで突き上げてくる。
 それが鎮まった直後に、鮮烈な痛みを感じた。
「しまった。鞘を置いてきてしまった」
 領主様が抜き身の短剣をかざした。つまり、鞘だけがお腹の中に取り残されている。なのに、穴を割り広げられる重たい苦痛は過ぎ去っている。つまり……丸ごと押し込まれてしまっている。そして、鋭い痛みだけが疼いている。きっと、抜き身の短剣で肛門を切り裂かれたのだろう。
「魔女の証しとなるような品は隠し持っておらぬな。娘を引っ立てろ」
 領主さまは抜き身の短剣を持ち主に返して馬に乗った。
 私は――両側から首枷を引きずられて、立たされるというよりも吊り上げられた。腰に長い鎖が巻かれる。
「お待ちください。家の中から衣服を探してきます」
 隊長が声を掛けたけれど、領主様はさっさと馬を進める。
「かまわん。素っ裸で連行する。おまえたちも、そのほうが行軍の励みになるであろう」
 わははははと、お追従にしてはねちっこい笑いが兵士どもの間に湧いた。
 私は領主様が持つ鎖に曳かれて、否応なく歩き出す。口に詰め込まれた革袋とともに、恐怖に圧し潰されかけている怒りを噛み締めながら。
 そして、腿に触れる微かな感触に気づいた。鞘を腰に括りつける革紐が尻から垂れていて、それが歩くたびに揺れているのだ。まるで尻尾のように。
 ――私の住む小屋は荘園の端にあるから、お館まで曳かれて歩くあいだに、村人のほとんどの目に惨めな姿を曝すことになってしまう。裸で枷に扼されているだけでも羞ずかしくて死んでしまいたいのに、尻からはまるで家畜みたいに尻尾を垂らしている。
 畑に出ている人も、行き違う人も、ぽかんと口を開けて隊列を――というより、私を眺めている。憐みの目だ。
「道を空けろ。少女殺しの魔女を連行しておる」
 道をふさいでいる荷馬車に、従者が呼ばわった。荷馬車は精一杯に道の端へ寄る。馬を曳いているのは、水車小屋のヨハンさんだった。私を見て、あわてて目を伏せてくれた。
「イレーネが人殺しの魔女だって? 間違いに決まってらあ」
 すれ違うときに小さな声で、でも私に聞こえるようにつぶやいた。たぶん、それが村のみんなの心だろう。私の無実を信じてくれてはいるけれど、面と向かって領主様に盾突くなんてできやしない。
 私は自分自身で、なんとかして身の潔白を明かさないといけないのだ。
 お館に着くと、裏庭の隅にある石造りの小屋に押し込められた。左右の壁には手前に鉄格子が立てられて、檻になっている。今は、誰も閉じ込められていない。小屋のまん中は広く空けられていて、小さな椅子と机が置かれている。奥の壁際には、部屋の中だというのに梯子が立て掛けられている。何に使うのだろう――という疑問への答は、すぐに自分の身体で思い知ることになった。
「尋問に取り掛かる前に、ひと休みいたしましょう。持参いただいた聖水で割った葡萄酒など、いかがですかな」
 けれど、領主様たちはすぐに立ち去るのではなかった。私は首枷をはずされて、水平に寝かされた梯子に手足を伸ばして縛りつけられた。そして、頭を下にして梯子が壁に立て掛けられた。この梯子は、囚人を拷問する道具だったのだ。
 領主様たちが立ち去って。私はあらためて、上下が逆になった小屋の中を見回した。天井には大きな滑車が四個も吊るされていて、それぞれから太い鎖が垂れさがっている。部屋の隅には火桶が置かれて、鉄の柄が何本も突き出ている。焼印に違いない。肩や額に生涯消えることのない刻印を焼き付けて領地から追放するのは、死刑にするほどではないが鞭打ちでは済まされない罪人への仕置として、どこの領地でも行なわれている。
 私には、どんな処罰が下されるのだろう。
 無罪放免にならないことだけは確実だ。そもそも無実なのだから、証人など出るはずもない。けれど、私が魔女らしいという証拠は、いくらでもある。千里眼の失せ物探しもそうだし、村人の知らない薬草の知識も、こじつければ魔女の証拠になる。
 それに……男の前でスカートを脱いで、神様の教えに背く物々交換をしていたことも、魔女の疑いと結び付けられる恐れがある。もっとも、この罪を領主様の前で告白する男がいるかどうかは、怪しいけれど。
 どんなに証拠が不確かでも、領主様は私を罪に墜とすだろう。十人もの兵士を引き連れて捕らえた小娘が無罪ともなれば、領主様の威厳が地に落ちる。
 せめて死刑だけは免れたい。もう、私はそのことしか願っていない。そして、それが困難な希望だと――すでに私は理解している。人殺しは、首を斬られるか吊るされるか。そして魔女は……生きたまま炎に焼かれるのだ。
 もちろん、運命を理解したからといって、それを受け入れるつもりなんか、これっぽっちもない。確実な証拠がないのだから、たとえ拷問されても嘘の自白をしなければ、処刑はできないはずだ。いい加減な裁判で私を処刑すれば、領民の反発を招いて――領主様にとってのいろいろな不都合が生じるだろう。そして、いつまでも裁判が開かれなければ。領主様も助命嘆願に耳を傾けてくれるだろう。
 もしもの積み重ねだけれど。村のみんなが助命嘆願してくれるだろうことにだけは、確信を持っている。解熱の薬草と腹下しの毒草とを見分けられるのは私だけだし、傷口を膿まずに治せる秘伝の黒焼き粉も手に入らなくなる。それに――年に何回かは出没する猪や狼を、手負いにして逃がすことなく確実に射止められるのも私しかいない。
 そういった「仕事」は、流浪の民の血を引く天涯孤独の私が村はずれに住まうのを許してもらっている見返りだけれど。だから、兎や鳥や山菜よりほかの食べ物を得るために(たまに)スカートを脱ぐのだけれど、実はひそかな愉しみでもある――なんてことは、領主様には黙っておく。
 領主様と司祭様は、すこし赤い顔をして戻ってきた。
 いやだなあと、思う。酔っている男は、しつこい。自分勝手だ。なんて考えて、それどころでは済まないんだと気づいた。酔っ払った男に取り調べられるんだ。素面ならしてくれるかもしれない手加減もしてくれなくなる。もっとも――二人の後ろに控えている男は、まったくの素面らしい。
 さっきの兵士たちの中にはいなかったと思う。この男が尋問だか拷問だかに手を下すのだろう。村一番の力自慢のハンスよりも逞しい身体つきをしている。その筋肉を誇示するように、裸の上に申し訳程度の革チョッキを着ている。こんな男に殴られでもしたら、私は壊れてしまう。
「吊るせ」
 領主様の短い命令。
 私は梯子ごと床に寝かされて縄をほどかれた。でも、痺れている手首をさする暇もなく両手を前で縛られて、天井の滑車から垂れている鎖につながれた。
 ガラララ、ヂャリヂャリ……と、宙吊りにされた。手首に縄が食い込んで痛い。
「どうにも見苦しいな」
 領主様が、私の尻から垂れている革ひもを握って、ぐいっと引っ張った。
「ん゙い゙い゙っ……!」
 灼熱の激痛が走って――鞘がカランと石の床に落ちた。
 太腿に鮮血が伝った。
「ふむ。まるで生娘の初めてを見るようだな。あの娘は……」
「ディーツ殿」
 領主様のあけすけな言葉を司祭様がたしなめる。
「おっと。娘を喋れるようにしてやれ」
 口に詰められていた革袋が引き出された。口の中に溜まっていたつばを飲み込もうとして噎せてしまう。
 領主様が、壁に掛けてあった長い鞭を手に取って、私の前に立った。
「ヘラを殺したのは、おまえだな」
 決めつけられて、反発が頭をもたげる。でも、すぐに目を伏せた。否定しても信じてもらえないだろう。けれど、不必要に心証を悪くすることもない。哀れで素直な態度でいれば、もしかしたら、ほんとうにもしかしたら――信じてもらえるかもしれない。
 なぜ、領主様は私が犯人とお考えなのだろうか。私をよく思わない人たちはいくらでもいる。亭主持ちの女と、司祭様を始めとする聖職者の人たち。でも、証拠もなく讒言するだろうか。
 ヘラの殺され方が尋常でなかったというのも、魔女の仕業と思われる理由だ。悪魔の爪痕かさもなければ容赦のない鞭打ちによる傷が全身に刻まれていた。乳房にも腹にも尻にも、悪魔の尻尾のような形をした火傷の跡がちりばめられていた。女の大切な部分は血まみれになっていた。悪魔のねじくれた男根でえぐられたかのように、何か所も裂けていた。
 盗賊の集団でも、こんなひどい殺し方はしない。悪魔、それとも悪魔と契約して力を得た邪悪な魔女だけが成し得る残虐さだ。
 私は領主様の目をまっすぐに見て答えた。
「私ではありません」
「では、なぜ娘の死体が埋められている場所を知っていたのだ」
 間髪を入れずに追及される。
「私には千里眼の力があります。ヘラが土の中に埋められているのが見えたのです」
「では……誰が娘を殺したのかも見通せるのだろうな」
「できません」
 探そうとする人が身につけていた物、物を探すときは逆にその持ち主に――手を触れなければ、千里眼は見えない。それを領主様に説明した。
「では……なぜに、娘が殺されるまでに見つけられなかったのだ」
 ヘラが行方不明になって五日後には、彼女の両親から依頼を受けている。そのときは、千里眼が働かなかった。ヘラの心が乱れていて、それが周囲の気配をかき乱していたのかもしれない。それとも、ヘラのまわりに多くの人がいたのかもしれない。台所で白い小さな小石を見つけるのは容易でも、河原で見つけるのは困難だ。
「だいたい千里眼なぞ、聖なる書物のどこにも書かれておらん」
 司祭様が不興気に吐き捨てた。
「存在せぬものをもっともらしく説明する汝は、魔女かペテン師か真犯人か、そのいずれかであろう」
 司祭様が、領主様に向き直った。
「この者が魔女かペテン師であれば、口先達者にディーツ殿を誑かしましょう。真犯人であれば、自白させるまで。いずれにしても、問答は無用と存じます」
「なるほど。口ではなく身体に尋ねるのだな」
 領主様が、巻いて手にしていた長い鞭をほどいて握り直した。
「いちいち尋ねはせんぞ。言いたいことがあったら勝手に言え」
 領主様は右腕を後ろへ引いて――私を殴りつけるように腕を水平に振った。
 しゅんんっ、パシイン!
「きゃああっ……!」
 刃物で斬りつけられたような鋭い痛みが乳房に奔った。男の掌からこぼれる自慢の乳房が、水を満たした革袋のように歪んで、大きく弾んだ。
 領主様が、振り抜いた腕を逆向きに振り戻す。
 しゅんっ、パシイン!
「痛いっ……!」
 またも鋭い痛みが乳房を爆発させた。
「私はヘラを殺していません。魔女でもありません」
 無駄と分かっていても、真実を訴えるしかない。
 領主様は私の言葉に耳も貸さず、鞭を振るい続ける。
 吊られて宙に浮いている私の体が、ゆっくりと回り始める。そこへ容赦なく鞭が降り注ぐ。乳房だけでなく、尻にも腹にも脇腹にも太腿にも。
 私は一発ごとに悲鳴をあげるのにも疲れ果てて、鞭打たれるたびに高く低く呻き続ける。
 全身が焼けるように熱い。刃物に切り刻まれたように痛い。実際に鞭の先で肌を切り裂かれて、あちこちから血が滴っている。
 いつか領主様も上着を脱いで、裸になった上半身に汗がびっしり浮かんでいる。
「ディーツ殿。鞭の勢いが弱くなっておりますぞ。ギドに替わらせてはいかがですか」
 ぎくっと、心臓が凍り付いた。領主様の倍は力がありそうな、まったく疲れていない男にこれ以上鞭打たれたら……私は死んでしまう。
「いや……しばらく休むとしよう。我が手で甚振ってこその悦びだ。下男になど譲ってやるものか」
 なんだか奇妙な言葉だけど……意識が朦朧としている私には理解できなかった。
 領主様は休むと言ったけれど、小屋から出て行かなかった。
 革チョッキの男に指図をして、私を吊り直させる。両手を後ろで縛って、そこを鎖で吊り上げる。
 ガラララ、ヂャリヂャリ……ギドが鎖を手繰るにつれて、まっすぐに伸ばしている腕が引き上げられていき、その半分くらいの割合で上体が前へ倒れていく。ある程度まで倒れると、手首が上がるより肩の下がる分が大きくなって――あとは腕だけがねじ上げられていく。
「い……痛い!」
 悲鳴を叫びすぎて嗄れた喉から、しゃがれた声が噴きこぼれる。
 肩がはずれるんじゃないかと思うほどの激痛。それでもギドは、じわじわと鎖を手繰り続ける。
 がくんと肩にいっそうの激痛が乗せられて、私の両足が床から浮いた。
「きいいっ……!」
 領主様が近寄って、私に向かって片足を上げて……靴の裏で股間を蹴った。
 小屋全体がぐうんと揺れて、ぐきりと肩が鳴った。
「痛い痛い……お慈悲ですから、赦してください」
「おまえは魔女であり、悪魔と結託してヘラを淫らに犯して殺した。認めるのだな」
 いつのまにか罪状が増やされている。
「私は無実です。魔女じゃありません。ヘラを殺していません」
「そうか」
 領主様は、私の揺れに合わせて今度は尻を蹴った。小屋がいっそう大きく揺れる。
「尋問を再開するまで、そうしておれ」
 領主様は小屋の隅に片付けた椅子に座った。小机に頬杖をして、揺れている私を、目を細めて眺めている。司祭様は壁にもたれかかって――その表情には見覚えがある。私がスカートを脱ぐときの、男たちの目つきと同じだ。
 ギドがワインとチーズを盆に乗せて持ってきて、小机に置いた。領主様と司祭様が、さらに酔いを重ねる。
 小屋の揺れが小さくなって、それでも水平にゆっくり回っている。
「逆さ吊りにしろ。鎖は二本だ」
「……へい」
 ギドが初めて口を利いた。なんだか疲れているような口ぶりだった。
 私は床に下ろされて、後ろ手縛りはそのままに、両足を別々の鎖で縛られた。
 ギドが二本の鎖の端をひとまとめにつかんで手繰り始める。
 ガゴガゴ、ヂャヂヂャヂヂャヂ……両足が吊り上げられ左右に開かされる。腰が浮き、最後に肩が床から離れて、私の身体は宙でV字形(文字は母から教わっている)を描いた。
「いちいち狙うのも難しいからな」
 領主様は鞭を小机に置いて、小屋の隅に置いてあった縄束をほぐして何本かを引き抜いた。
 びゅんっと素振りをくれる。鞭の音よりもよほど風切り音が凄まじい。
 領主様が私を見る。視線は私の顔ではなく、顎の高さにある股間に注がれている。
(まさか……?)
 疑ってはみるけれど、私はもう確信していた。わざわざ開脚で逆さ吊りにした意図は明白だった。
「おまえがヘラを殺したのだな」
 領主様が縄束を振りかぶって、私の顔を見下ろした。
「違います」
 勇気を振り絞って、真実を返した。
 びゅんんっ、バジャアン!
「ぎゃはああっ……!」
 縄束が股間に叩きつけられて、私は絶叫した。もっとも敏感な場所に加えられたもっとも残虐な仕打ち。身体をまっぷたつに切り裂いて、股間から脳天まで稲妻が突き抜けた。反射的に股間をかばおうとして前かがみになるが、宙吊りにされているので上体が折れ曲がっただけで、反動で身体が前後に揺れ始める。
 そこへ二発目、三発目と打ち込まれる。
 びゅんんっ、バジャアン!
「ぎゃはああっ……!」
 びゅんんっ、バジャアン!
「ぎゃはああっ……!」
 息をする暇もなく、四発目には口を大きく開けて喘ぐだけだった。
「おまえは魔女だな」
 認めてしまおうか。ちらっと思った。魔女にはふた通りあると、人々は考えている。村に住んで畑を耕している人たちの知らない知識を使って人々の役に立つ魔女と、悪魔と契約して邪悪な力を得た魔女と。村人たちには、私は善き(そして淫らな)魔女と思われている。けれど、それを認めてしまえば――領主様も司祭様も、悪魔と契約した魔女だと決めつけるだろう。
 私は気力を振り絞って、言葉を喉から押し出した。
「……違います」
 返事は、いっそう強烈な股間への稲妻で報われた。
「ぎゃんっ……!」
 ふうっと目の前が昏くなった。けれど、失神の安逸に逃げ込む前に次の稲妻が股間を打ち据える。
「ぎゃはあっ……ひいい……ぎゃんっ……くうう……」
 私は鍛冶屋の鞴のように悲鳴を噴き続けて……
「しぶとい小娘だ。愉しませてくれるが、そういつまでもかかずり合ってもおれん。続きは夜になってからだ」
 逆さ吊りのまま、手首の縛めをほどかれた。けれど、それは休息を意味しなかった。余っている二本の鎖に両手をつながれて、うつ伏せの姿勢まで引き上げられた。四つの滑車から斜めに伸びる鎖に手足を引き伸ばされて、背中にまで痛みが積み重ねられた。鞭で打たれなくても、じゅうぶんな拷問だった。
 小屋から三人の男たちの姿が消えて、私は空中に放置される。
 ――肩と足の付け根が軋んでいる。背中に鈍い痛みが居座っている。
 私が罪を認めるまで拷問が繰り返されるのだろう。
 いっそ、無実の罪をすべて認めてしまおうかと弱気になる。でも、それは――神様に対して罪を犯すことにならないだろうか。、最後の審判の日に、胸を張って神様の御前(みまえ)に立つためには、偽りの告白をしてはならない。
 私だけではない。母は私を父と育てるために、流浪の民と別れを告げた。父は仕留め損ねた猪に胸を貫かれた苦しい息の下で、最後まで私の幸せを祈ってくれたという。私が地獄に落ちれば、父母は永遠の嘆きを生きなければならない。
 もしも村人の嘆願が領主様に届かなくても、そのときは……最後まで無実を訴えて責め殺されよう。
 ……時が経つにつれて、ささやかな欲求が私を苦しめ始めた。その欲求を満たすのは簡単だ。けれど、娘の身としては羞恥に悶える欲求。つまり……小水を催しているの!
 男の人は平然と立小便をするし、女でもさり気なくスカートを広げて。でも、うつ伏せで宙吊りにされているときに腹の力を緩めてしまったら、誰に見られていなくても羞ずかしいし。誰も見ていないというのは、その通りだけど。下は石の床だ。水溜まりを、あの人たちに見られる。魔女だ人殺しだと思われるのは厭だけど、恥知らずと思われるのは、もっと厭だ。
 意識すればするほど、欲求が募ってくる。何か他のことを考えて気を紛らわそう。破滅を先送りにするだけだけれど。
 領主様は奇妙なことをおっしゃってた。愉しみ……とか?
 領主様みずからが罪人を取り調べるというのが、よく考えてみると不自然だ。ヘラの遺体を見つけて、村長が領主様に届け出たときには、執事代理とかいう人が訴えを聞いただけで、遺体の検分もされなかった。
 弱い者虐めをして悦ぶ人を、私は何人か知っている。鍛冶屋の弟子のエックとか、水車番のクラウスとか。領主様も、実はそういった人なのだろうか。
 それから、これは小さな男の子によくあることだけど。好きな女の子を虐める――まさか、領主様が淫売娘に興味を示すはずがないよね。
 なんて平和なことを考えているんだろうと、自分に呆れてしまった。無実の罪を認めて処刑されるか、最後まで真実を貫いて責め殺されるか、十中八九は、そのどちらかだというのに。あまりにも唐突な出来事に、実感が追い付いていない。
 猪や狼は目の前の危険だ。飢えは切実だ。人が死ぬのも珍しくない。でも、ヘラの死体は、先に千里眼で見通していたせいかもしれないけど、壊れた人形みたいだ。
 分かってる。これが実際に私の身に起きていることだと信じたくないんだ。
 ……もう駄目!
 じわあっと、股間の入り口あたりまで切羽詰まってきて。諦めて、ほんのすこしだけ力を緩めた。
 ちょろちょろっと滲み出る感触があって、それから土砂降りが訪れた。
「はああ……うううう」
 欲求が満たされた安堵の溜息と、恥辱を噛み締める嘆きと。
 石の壁に穿たれた窓から差す鉄格子の影は、まだ短い。夜になるまで与えられている休息という名目の緩やかな拷問は、まだ始まったばかりだった。
 ――全身に苦痛が浸み込んで、苦痛を苦痛と感じなくなっていく。床に落ちる鉄格子の影が長く伸びて、薄れて、小屋の中がだんだんと昏くなってゆき、ついに一切の輪郭すらも星明りに紛れて。不意に赤い光が床に揺れた。そして、夜のしじまに突き刺さる足音。
 小屋の戸口が、バタンと乱暴に開けられる。松明の明かりが眩しい。人影はふたつきりだった。
「考える時間は、たっぷり与えてやったぞ。強情を張っても、おまえの末路は変わらん。魔女で殺人者だと素直に認めれば、すこしは楽な処刑にしてやるぞ」
「…………」
 こんなことを言われたら、たとえ真犯人でも頑なに口を閉ざすだろう。私が返事をしなかったのは、反発よりも虚しさからだった。
「ふん。強情なやつだ。ますます愉しませてくれるな――ギド、もっと吊り上げろ」
 ヂャリヂャリと四本の鎖が手繰られて、私の身体は領主様の頭よりも高く引き上げられた。横に強く引かれて身体が伸ばされ、麻痺していた激痛が蘇った。ぎちぎちと、肩と股に不気味な軋みが生じる。鎖を握り締めて手足に力を込めた。そうすると、わずかに痛みが減る。
「ふうむ。むごたらしい鞭傷だな」
 鞭を振るった張本人が、他人事のように言う。
「じっくりと見てやろう」
 松明をかざして――私の肌に近寄せる。いや、脇腹に押し付けた!
 じゅっと、肉の焦げる音。
「いぎゃあっ……!」
 叫んだ時には、炎は遠ざかっていた。けれど、押し当てられたところには引き攣れるような疼きがわだかまっている。
 領主様……こんな残虐な男に敬称なんかいるものか。領主、いやディーツは松明を肌すれすれに近づけて、腹から股間にかけて、ゆっくりと宙を滑らせた。
 灼熱が揺らぎながら下腹部を撫でて、チリチリと飾り毛が燃え上がるのを肌に感じた。薄い煙が立ち昇って、卵白を焦がすような臭いが混じる。
「剝き出しになったな。しかし、燃やしても眺めが変わらんとは面白いな」
 私の体毛は、母親譲りの黒味がかった赤色だ。父親譲りの白い肌に刻まれた縄の打擲の痕は、きっと体毛と似ているのだろう。
 ちろちろと炎に焙られていたそこに、灼熱が押しつけられた。
「ぎゃはああっ……!」
 松明はすぐに引き離されたけれど、脇腹とは段違いの激痛が股間を苛んでいる。
「鶏冠が醜くはみ出しておるな。生娘とは比べものにならん。こんな使い古しには突っ込む気にもならんわ」
 鎖が緩められて、床から三フィートのあたりまで下ろされた。乳房をわしづかみにされて、ぐるりと身体を回された。私の顔の前にディーツの腰が突きつけられる。
「こちらを使ってやろう」
 ディーツがズボンをずり下げた。今にも弾けそうになった醜悪な肉の杭が、唇に触れる。
「咥えろ」
 どんなに浅ましい男からも、こんな破廉恥な要求をされたことはない。命の糧を取り込み神の御名を称える器官に、身体の中でもっとも穢れた部分を迎え挿れるなど、まさしく悪魔の所業だ。
「恥知らず!」
 顔をそむけて罵ってやった。
「そうか……」
 さすがにディーツも重ねての無理強いはしなかった――と思ったのは、こいつの残忍さをまだ理解していなかったからだった。
「鉄床を乗せてやれ」
 ギドが、火桶の横に置かれているそれを両手で持ち上げた。
「勘弁してくれよ」
 小声でつぶやいてから、鉄の塊を私の背中に乗せた。
 ぐんっと背中が反り返って、背骨がめきめきと音を立てた。鎖をつかんでいた手から力が抜けて、肩と腰の激痛も倍加する。
「ぎひいいいいいい……」
 食い縛った歯の隙間から、苦悶が噴き出る。
「素直に咥えるなら赦してやるぞ」
 真実を貫いて責め殺される覚悟をしていても、この激痛には耐えられない。
「お、お慈悲を……」
 私は口を開けただけではなく、唇にすりつけられた肉の杭をみずから咥えてしまった。
「ギド……」
 ディーツが命令を言い終わる前に、背中から百ポンドはあろうかという重みが取り除かれた。けれど私は、口にしてしまった醜悪な汚物を吐き出すこともかなわない。ディーツが、ぐいぐいと腰を押しつけてくる。
「咬むんじゃないぞ。歯を立てたら、乳房をヤットコでねじ千切ってやるからな」
 ディーツは、私の髪を両手でつかんで頭を固定して、腰を打ちつけ始めた。
 汚辱が私の口を蹂躙する。喉奥深くまで突き挿れられては半ばまで引き抜かれる。唇も舌もこすられえぐられる。
「さすがに売女だけあって、降参するのが早かったな。あの娘のように、気絶するまで拒み通してくれたほうが愉しめたのだが」
 うそぶきながらディーツは、私と媾合ったどの男よりも乱暴に無慈悲に容赦なく、私を辱しめ続ける。
 吐き気と目眩とに苛まれながら、つい考えてしまった。媾合いなら、わざと腰をひねったり肛門を引き締めたりして、男を促すこともできる。もしも、唇や舌をそんなふうに使えば……するものですか!
 それでも、そんなに長く続かなかったのは――ディーツも、これがどれほどに背徳的な行為かわきまえていて、だからこそ常になく興奮して果ててしまったのだろう。
「げほ……うげええ」
 醜悪な汚物が引き抜かれると同時に、激しく嘔吐してしまった。唾と、腹から絞り出された酸っぱい液と、そして白濁とが、床に点々と飛び散った。
 ディーツは素早く身を引いて。平然と汚物をしごいて、中に残っている汁を絞り出す。それを手に受けて――私の背中になすりつけた。汚辱にまみれた私の心は、そんなささやかな辱めには何も感じない。欲望を遂げた男が急速に関心を失うのを、私は知っている。これで拷問をやめてくれるなら、この鬼畜に感謝のキスを奉げてもいいくらいだ。
 でも、そうはならなかった。
「人殺しの魔女とはいえ、若い娘だ。それなりに扱ってやらんとな――ギド、使い古しの穴は、おまえが埋めてやれ」
「領主様、今度ばかりは勘弁してください」
 ギドが、体躯に似つかわしくない哀れっぽい声で嘆願してくれる。この人はディーツに忠実なだけで、拷問を愉しんではいない。
「わしの言葉にそむくつもりか」
「いいえ、とんでもないことで……」
 ギドが、床の金属環につないでいる鎖に手を伸ばした。
「下ろすな。宙吊りのままで犯せ」
 ギドは黙って手を引っ込めると、ズボンを脱いだ。ディーツと違って、股間はすくんでいる。それを手でしごいて、無理に勃たせる。掌に唾を吐いて、勃起にまぶした。
「領主様のご命令だ。勘弁してくれよ」
 開脚させられている私の背後に割り込んで……先端を淫裂にあてがった。腰をつかんで持ち上げて(おかげで、すこし宅になった)、そろそろと突き挿れてくる。
「ぎひいいい……」
 身体に見合って、ギドの男根はディーツの倍ちかくもある。私がこれまでに受け挿れたどの男のそれよりも太くて長い。その凶器が、松明に焼かれて痛みを宿している私を責めている。
「後家のマルガなんか、見ただけで逃げ出しやがった。いくら場数を踏んでても、子供を産んだことのないあんたにはきついだろうが……ちびっとだけ辛抱してくれ」
 気づかってくれているのか嚇かしているのか分からない言葉をつぶやきながら――最後は、ずんっと腰を押しつけてきた。
 瓜を丸ごと頬張ったような感じだったけれど、悲鳴をあげずにすんだのは、場数を踏んできたせいだろう。それとも、鞭や松明で苦痛に馴らされてしまっているのだろうか。火傷を剛毛でこすられる刺激も、痛いというよりもくすぐったい。
 ギドは性急に腰を使って、それはそれで苦しかったけれど、簡単に終りにしてくれた。
 それで、今夜の拷問は終わった。両足の鎖だけは赦されて、両手を吊られて床に膝を突いた姿勢でひと晩を過ごすことになった。
 ――全身の痛みに苦しめられながら、私は考えていた。ディーツは、これまでにも他の娘に同じようなことをしたと、そんなことを言っていなかっただろうか。お館には何人もの女中がいる。その中から、若い娘を選んで……。けれど、お館から逃げ帰った娘はいない。こんなひどいことをされたら、私だったら金貨だろうと百ポンドの小麦だろうと蹴飛ばして逃げ出す。それとも、こんなことまではされなかったのだろうか?
 いや。今は他人の心配をしているどころではない。私は魔女でもないし殺人者でもないと、どうやったら、デイーツと司祭様に信じてもらえるだろうか。
 あれ……? あの男は絶対に私を有罪にすると、私はそう思っていたんじゃ?
 でも、死刑だけは免れるように……村人たちがこぞって助命嘆願してくれるまで拷問に耐えようと決意している。
 強烈な突風に巻き込まれたみたいに、なにがなんだか分からなくなってきた。全身の苦痛が、思考を妨げている。

 かすかの星明りの下。両手を頭上に吊られた膝立ちの姿勢で、私は苦しみ続けて。それでも、悪夢に悪夢を重ね塗りするように微睡んでは、また痛みに目を覚まされる。
 そんなふうにして、朝を迎えた。
 塑像のように身体が強張っている。ぎくしゃくと立ち上がると、吊られていた手が顔の前にくる。鎖が擦れて、手首も傷ついている。すっかり肌になじんでしまっていた鞭傷と火傷の痛みとを、あらためて鮮明に感じる。そして……渇きを意識した。
 無理もない。昨日の昼前に捕らえられてからずっと、一滴の水も飲んでいない。鞭打たれて叫び、松明を押しつけられて喚き、苦辱に呻いて――喉が痛い。
 空腹も感じなくはないけれど、そちらはまだ我慢できる。
 あらためて、自分の身体を見下ろしてみる。鞭傷で埋め尽くされている。右の脇腹と下腹部には、大きな火膨れ。今日は、この上にさらに傷を重ねられるのだろう。もし(一縷の望みが実現して)無罪放免されても、幾つかの傷は生涯残るかもしれない。
 男たちが私の身体に魅力を感じなくなったら……飢え死にはしない。肉と山菜と木の実と。それとも。あの鬼畜の男根を咥えたくらいなのだから。男たちをしゃぶってやれば、美醜なんか問題ではなくなるかな。
「馬鹿じゃないの」
 しゃがれた声で、自分を嘲笑った。なに、のんきなことを考えているんだろう。けれど……今日の拷問を考えるのは、崖っぷちに立って遥かな下を覗き見るよりも、ずっと怖い。おそらく明日も明後日も拷問されるという確実に現実となるだろう想像は、永遠の火に焼かれる苦しみを想像するよりも、ずっと切実でずっと怖い。
 崖っぷちに立たされたまま、石床に落ちる鉄格子の影がうつろってゆく。たまに遠くから人の声が聞こえてくるけれど、ここへ近づく者はいない。
 いや……鉄格子の影が縮み切って、また少しずつ伸び始めた頃。
 やっと、足音が聞こえた。ひとりだけらしいのに、大きな足音。戸口が開いて。入ってきたのはギドだった。
 無言で鎖を緩める。そして、足元に籠を置いた。大きな図体に似つかわしくない小さな籠。
「水とパンだ。早く食え」
「……?」
 ギドに言いつけられたにしては、様子がおかしい。
「命を長らえたら、それだけ苦しみも長引くだろうが……こうでもしなけりゃ、俺の気が狂っちまう」
 へたっと、私はその場に座り込んだ。座っても手を膝の上に置けるのがすごく嬉しい。
 主人の命令に従っていだけかもしれないけど、私を吊るしたり強嵌したやつの施しなんか受けるものか――ちらっと思ったけれど。
「……ありがとう」
 素直に感謝して、籠の中の革袋に手を伸ばして水を貪った。おそらく天水を濾過しただけなのだろうけど、甘かった。
「これもいただくわ」
 干からびた丸パンをふたつに割って、口に入れた。硬いけれど、焼き立てのパンみたいにおいしかった。
 この人の(気紛れかもしれない)好意を拒否すれば、このあとの拷問で仕返しをされるだろうという計算もあったけれど。なぜか、この人に同情してしまった。
 私が食べ終えると、ギドは太腿に手を伸ばしてきた。
(見返りに身体を求めるつもりなの?)
 ちょっとだけ身体を強張らせて、でも諦めて男の好きなようにさせる。
 ギドは太腿にこぼれていたパン屑を自分の掌に払い落としただけで、それ以上の振る舞いには及ばなかった。
 そうか。食べ物を与えたとディーツに知られたら、彼が罰を受けるんだ。はしたないことを考えてしまった自分が羞ずかしかった。
「すまないが、吊らしてもらうぞ」
 鎖が手繰られて、床の金属環につなぎ直された。私は両手を頭上に伸ばして膝立ちになる。
 ギドは籠を抱えて小屋から出て行った。
 これまでにもらったどの贈り物よりも嬉しかった。
 けれど、このひと時は、残虐な悲劇の中の短い幕間劇でしかなかった。

 夜の帳が下りかける頃になって、残虐の第二幕が上がった。
 かろうじて爪先立ちできる高さまで吊り上げられた。開脚して逆さに吊られるよりは、ずっとましだ。
「おまえが魔女である証拠が、またひとつ見つかったぞ」
 ディーツが、私に指を突きつける。
「おまえが射る矢は飛びながら方向を変えて、逃げる獲物に命中するそうではないか。魔女でなければ、こんな不可思議は為し得ないぞ」
 不可思議――それは、私自身も感じてきた。
「私にも理由はわからないのです」
 練習のときは的をはずすこともあるのに、獲物を狙うと百発百中。弓音に気づいて飛び立った鳥に向かって、矢が曲がる。そして突進してくる猪なんかには、大の男が至近距離から射っても不可能なほどに矢が深く突き刺さる。
 出来の悪い矢が逸れる方向や鳥の飛び立つ先、猪の頭蓋骨の隙間まで、自分でも気づかないうちに千里眼で見通しているんじゃないかと考えたこともあるけど――それだけでは説明できないようにも思う。神様の御加護を受けられるほどの善行を積んでいないことだけは、自身を持って断言できるけれど。
「理由は分かっておる。おまえが魔女だからだ」
「違います……」
 否定したけれど、言葉は弱々しかった。
「やはり、身体に尋ねるしかなさそうだな」
 ディーツが、もはや隠そうともせずにほくそ笑む。
「昨日はまだしも手加減してやったが、今日は本気だぞ」
 汗まみれになりながら鞭を振るっていたくせに、水が流れるように嘘を吐く。
「ギド。九尾鞭で打ち据えてやれ」
 ぎくっと、ギドの裸の肩が震えた。
「領主様。あんなこと、俺は二度と……」
「黙れ!」
 ディーツが大声で叱りつけた。
「余計なことを言うな。主殺しの大罪人を匿ってやった恩を忘れたのか」
 ああ、そうか。だから、こんな巨漢なのに噂すら聞いたこともなかったんだ。
 ギドはうなだれて、壁に掛けてある鞭を手に取った。ディーツが使った長い一本鞭とはちがって、三フィートくらいしかない。けれど、何本もがひと束になっている。その一本ずつの先端には金属の鉤が編み込まれている。
 ギドが私の目の前に、まるで壁のように立ちはだかった。無言。無表情。そこに苦悩と憐憫を読み取ったのは、水とパンのせいだったろうか。
 ギドが九尾鞭を振りかぶった。それだけで、二の腕に力瘤が盛り上がる。
 腕が伸びて、鞭が宙を奔った。
 ぶゅん゙ん゙、ズバッジャアアン!
「ぎゃわああああっ!!」
 左の乳房から右の脇腹まで、重くて鋭い激痛が広がった。狼に咬みつかれたとしても、これほどには痛くないだろう。ディーツの鞭なんかへなちょこだった。昨日の鞭すべてを足しても、この一撃よりも優しい。
「きひいいい……」
 鞭打たれた後も、痛みが居座っている。視線を下に落とすと――肌が斜めに幾筋にも裂けていた。
「逆向きに、もう一発だ」
 ディーツの命令に忠実に従うギド。右の乳房から左の脇腹まで切り裂かれた。
 私は喉が破れるほどに絶叫する。
「つぎは背中に二発」
 ディーツの声はかすれていた。私がスカートを脱いだときに男たちが発する声音に似ている。
 ギドの姿が目の前から消えて。
 背中もX字形に切り裂かれて、絶叫に血の飛沫が混じった。
 そして、尻にも二発。私は口の中に血の味を感じながら、破れた喉から悲鳴を絞り出された。
「そこまで。まだ生かしておかねばならんからな」
 猫が鼠を弄ぶよりも、よほど残忍なディーツの声。
「火を熾せ」
「いや、それは拙いでしょう」
 壁際で傍観していた司祭様が、重々しく口を挟んだ。
「それでは、傷が同じになってしまいます。純朴な子羊といえど、疑いを持つやもしれませんぞ」
 ディーツは、熾っていない火桶から焼印を引き抜いた。未練がましく、私の裸身と焼印とを見比べる。
 そのときだった。私に真相への理解が閃いた。
 私の肌に刻まれた、九尾鞭のギザギザの切り裂き。ヘラの肌を切り裂いた悪魔の爪痕。そっくりだわ。ディーツの手にしている焼印は、罪人に与える忌み文字や家畜に刻む紋章ではない。ハート形を引き伸ばしてねじったような……悪魔の尻尾に似ている。
「あなたなのね!」
 その告発が招く結果を省みず、私はしゃがれた声で叫んでいた。
「ヘラを殺したのは、あなたなのね」
 ディーツが焼印を取り落とした。が、すぐに拾い直して火桶へ戻す。
「罪を私になすりつけようとしているのだわ!」
 善良な村娘を拷問に掛けた理由も、自分への仕打ちと照らし合わせれば(断じて許し難いけれど)理解はできる。この男は、女を甚振ることに快楽を見い出しているのだ。
「さて……焼印で消毒できぬとなると、ちと困るな」
 ディーツは私の告発を強引に無視して、司祭様――ではなくて司祭(こいつの名前が何であるかなんて、これまで気にかけたこともない)に語り掛けた。
「放置すれば、傷口が膿んでしまいますな。触れれば悪い病が伝染(うつ)るやもしれません」
 こいつらは……私に苦痛を与えるだけでなく、昨夜と同じように女としても辱しめるつもりなんだ。
「ギド。台所から粗塩を持ってこい。壺ごとだ」
「なるほど。塩漬け肉は腐りませぬな」
 ギドが、困惑を顔に浮かべながら小屋から出て行った。命令は理解できても、ディーツの意図が分からないのだろう。
「待って……傷が膿まずに治せる薬が、私の小屋にあります」
「噂には聞いておる」
 ディーツが、やっと私の声に応えた。
「たいして沁みもせずに驚くほど早く治すそうだな。実につまらん」
「……悪魔」
 怖れていたとおりだった。この男は、私の傷を治したいのではなく、傷口にさらなる拷問を加えたいだけなのだ。
「魔女に悪魔と呼ばれるとはな。してみると、わしはおまえの主人か」
 ディーツが高笑いした。本気で面白がっている。
 ギドが壺を抱えて戻ってきた。
「塩は高価な調味料だ。傷の手当てに使われることを光栄に思え」
 その貴重品を、ディーツは唾で湿した掌に盛り上げた。そして……私の乳房をわしづかみにした。だけでなく、強く握ってこねくりまわす。
「きひいいいい……」
 無数の針に突き刺されるような灼熱が乳房を貫いた。鞭打ちのような激痛の爆発ではなく、劫火に焼き尽くされるような、うねりのたびに大きくなる痛み。岩塩を砕いた粒が、激痛のうねりに鋭い棘をちりばめる。
「ひいいい……やめて……お慈悲ですから……」
 無駄と分かっているのに、こんな鬼畜に屈したくないのに、憐れな懇願が口からこぼれ出てしまう。
「どれ、拙僧もお手伝いいたしましょう」
 司祭が尻に指を食い込ませて揉み始めた。
 乳房を蹂躙したディーツの両手が私の腹をつかみ、司祭の手は背中に叩きつけられる。
 じきに、私の全身は血に染まったピンク色の塩にまぶされてしまった。
 新たに塩を盛った司祭の手が股間に伸びる。
「あ、そこは……」
 ディーツが止めようとするが、司祭は私の下腹部を掌で掬い上げるようにして指を突き挿れた。
「くっ……」
 女の核心を穿たれる妖しい疼きに、チリチリした鋭い痛みが中を掻き回す。
「羊の腸を天日と塩でなめした筒を逸物に嵌めればよろしいのです。さらに塩をまぶしてやれば、女は泣き叫んで悶え狂い、男は締まりを存分に堪能できます」
「ほほう。では、わし直々に情けをくれてやるか」
 内も外も激痛の炎に包まれている私から、二匹の悪魔が身を引いた。
「では早速に、羊の腸とやらを試させていただこう」
 司祭が法服の下から小さな包みを取り出した。最初から、そのつもりで用意していたんだ。
「この品については、是非ともご内聞に。これを使うと、子種が子袋に届きませんでな。オナンの罪を犯すことにもなりかねませんから」
「ううむ。では、女中を孕ませることもなく……」
「アーメン」
ディーツの言葉を遮って、 司祭が恭しく十字を切った。きっと神様にではなくて、悪魔に捧げた祈りだろう。
 私は鎖から解放されて、床に突っ伏した。代わりに梯子が水平に低く吊られた。そこに身体が直行するようにギドの手であお向けに寝かされて、手足を縄で床の金属環につながれた。梯子が吊り上げられると、私の腰は梯子に乗ったまま全身が逆海老に反っていく。腰が肩が痛いけれど、鉤裂きの鞭傷に塩を擦り込まれている激痛に比べたら、取るに足りない痛みでしかない。
 斜め上に突き出した私の股間がディーツの腰の高さになったところで、鎖が止まった。
 そして。岩塩の粒をまぶした羊の腸が、中身もろとも女芯を貫いた。
「い……痛い……」
 けれど、悲鳴はあげない。ディーツは私の悲鳴を愉しんでいると分かった。それに……苦痛には馴らされてしまった。鉤裂きの鞭傷に塩を擦り込まれる地獄の苦しみに比べれば、こんなものはせいぜい乱暴な媾合いでしかない。
「拙僧もお相伴にあずからせていただきましょうぞ」
 あおのけた顔に、羊の腸に包まれていない怒張を押しつけられて、私は嫌悪と憎悪をこらえて口を開けた。この生き地獄のなかで望める救済は、二匹の悪魔が邪淫な欲望を解き放って、私への関心が冷めることだけなのだから。
 悪魔どもは息を合わせて、私をブランコのように揺さぶる。
「どうも、おっしゃるほどには締まりませんな。ちっとも泣き叫ばんし」
「拙僧とて、実際に試みたのはこれが初めてです。語り伝えられるほどに話は大仰になっていく――そんなところでしょうか」
 勝手なことをほざく悪魔ども。
 いくら早く終わってほしいと願っているにしても、意識して締めつけたり、舌で舐めてやる気にはなれない。
「しかし……早々と気づかれてしまったのは失敗でしたわい」
「いやいや。領民のあいだでも、こたびの仕置には反発の兆しが見え隠れしております。どうせ、ひと月もふた月も続けられるわけではないですぞ」
「ふむ……しかし、こやつが魔女で殺人者であると皆に納得させねば、処刑も反発を招く。真相を知った以上は、いくら責めようと自白は難しい」
「拙僧には、ちと考えがないことも……考えをまとめるまで、数日の猶予をいただけますかな」
 二匹の悪魔の悪だくみは、そのまま私の運命につながっているというのに。今の苦痛から逃れることしか考えられなくなっている私にはその内容をほとんど理解できないままに、言葉が宙に消えていった。
 ――背中を丸めた姿勢で手足をひとまとめに括られて、私は冷たい石床に放置された。用済みの羊の腸が裸身の上に投げ捨てられて、肌にへばりつく。それを振り落とす気力も体力も、私にはなかった。

 私は激痛と灼熱と屈辱と恐怖とに苛まれながら、失神とぼんやりした覚醒とを繰り返しながら、三日目の朝を迎えた。
 私は水溜りの中に転がされていた。失神しているあいだに漏らしていたのだろう。さいわいに、二日に一度くらいの割で訪れる欲求のほうは、まだ感じていなかった。
 昼過ぎにギドが内緒の差し入れをしてくれたときには、石床は乾いていた。なにがしかの異臭は残っていたかもしれないけど、彼は何も言わなかった。
 水とパン、そして双つの掌に包んでしまえるほどの葡萄は、浅ましくも皮まで貪ってしまった。
 私が食べ終えても、ギドはすぐに立ち去らなかった。部屋の隅に座り込んで、眺めるでもなく悲しそうな眼差しを私に向けている。
「ありがとう……」
 ぽつりと、言葉をこぼしてみた。
「すまない……」
 ぽつりと、言葉が返ってくる。
 それだけ。
「ねえ……村の人たちが反発してるとか、司祭様が言っていたけど。どんな様子なの?」
 ギドは首を小さく横に振った。
「俺は、お館の外には出れんから……」
 見知らぬ巨漢が不意に現われたら、噂はすぐに広まって、じきにギドを追う者たちの耳にまで届くだろう。それがどういう人たちか知らないけれど、ちっぽけな荘園の主に過ぎないディーツでは追い返せない権力を持っているのかもしれない。
「できることなら助けてやりたいけど……」
 言葉を飲んで、ディーツが立ち上がった。無言で私を横倒しにして元の形に縛り直すと、空の籠を持って小屋から出て行った。
 そのひと時だけが、一日のうちで手足を自由にしてもらえた時間だった……そう、この日は二匹の悪魔が小屋に姿を現わさなかったのだ。
 けれど四日目には、前日の(裸のまま縛られて水もろくに与えられず、それでも拷問されないというだけの)平穏を埋め合わせて余りある残虐が待ち受けていた。
 この日の拷問者は司祭だった。ギドを使って、壁に斜めに立て掛けた梯子に私を縛りつけた。その横に小机を持ってきて、怪しげな道具を並べた。
「口を開けろ」
 輪切りにした矢筒のような器具を突きつける。逆らえば痛めつけられるだけと分かっていても、私はためらった。水か、もっと汚いものを流し込むつもりだろう。
 司祭は、長い錐を手にした。口元を残忍にゆがめて、それを真横から乳房に突き刺した。
「きひいいっ……」
 硬い激痛が乳房を貫く。乳房の内側に錐が突き抜ける、ぷつっという小さな音を肌に感じた。錐が引き抜かれて、今度は下から上に貫通する。
 汚辱よりは激痛のほうがましだ。拷問に耐えても苦しみが長引くだけと分かっていても、私は食い縛った歯の力を緩めなかった。それは私の意志ですらなく本能だった。
「……強情な小娘だ」
 司祭が錐から手を放して上体を起こした。その手が上に引き上げられて……
 どすんと、重たい衝撃を腹に受けた。
「うぐぇ……」
 内臓がひしゃげて口から飛び出すような苦悶に襲われた。お腹を抱えてうずくまりそうになる……けれど、梯子に縛りつけられていては、わずかに身をよじるだけ。
 どすんと、さらに殴られた。
「あが……」
 途方もなく重たい鈍痛が渦となって腹の中で暴れている。
 苦悶に半開きとなった口に、筒が押し込まれた。
「ギド、押さえていろ」
 額を大きな掌で押さえつけられ、さらに筒が喉の奥深くまで突っ込まれた。
 緩く湾曲した太い針金が円筒に差し込まれた。針金の先は釣り針のように撥ねて、どろっとした灰色の液体を滴らせている。
 ぎちちっと、喉の奥を引っ掻かれた。
「うご……」
 悲鳴をあげかけて、針が肉に食い込む激痛で息が詰まった。
 司祭が筒を覗き込みながら、針金を操る。
 ぎち、ぎぢぢ……喉の奥をえぐられても、顔を動かすとますます針が食い込むだけなので、両手を握り締め四肢を突っ張って激痛に(とうてい耐えられなくても)耐えるしかない。
 針金が引き抜かれて――先端が小瓶に差し込まれ、灰色の液体を掬い取る。そして、また喉の奥を鋭く引っ掻く。
 びちちっと……下半身に厭な感触が生じた。喉の奥に加えられる拷問は、鞭や針よりも耐え難いものがある。腹を殴られたせいもあったかもしれない。私は(意識にのぼせるのも羞ずかしい……)便を漏らしてしまった。ずっと飢餓に苛まれていたのがさいわいして、こぼれた量はわずかだったのが、虚し過ぎる救いではあったけれど。
 司祭は飛びのいて、法服の裾を見下ろす。
「悪あがきにもほどがある。ディーツ殿、衣服と靴は新調していただきますぞ」
 ディーツの姿は、拘束されている私からは見えない。私の粗相を見て面白がっているのか、予定外の出費に苦虫を噛み潰しているのかも分からない。
 司祭はまた私に取りつくと、これまでに数倍する乱暴さで針金をこねくった。
「かはっ……」
 脳天をえぐられるような激痛に耐えかねて悲鳴をあげたのに、声にならなかった。
 針金はさらに何度も引き抜かれては、液体に濡らされた小さな鉤が喉の奥底を傷つけていく。
 永劫に続くとも思われた責め苦が、ついに終わって。ギドが床に水をぶちまける。この四日間に着いた染みが、ささやかな固形物とともに洗い流された。
 私は手首を後ろで縛られて、両脚をV字形に吊り上げられた。肩が床に着いているので(これまでの仕打ちに比べれば)そんなにつらくはない。水に濡らした藁屑で、汚れた穴のまわりをギドに拭かれるほうが、よほど羞ずかしかった。
 いや、どんな形に辱しめられようと、それはさしたる問題ではなかった。
「明後日には領民を集めて、公開裁判を行なう。その場で領主殿を告発してもかまわんぞ。魔女の妄言なぞ、誰ひとり耳を貸さんだろうがな」
 そうだろうか。村はずれに住まわせてもらうというささやかな寛容への見返りに、薬草や塗り薬を手間賃も取らずに差し出し、恋占いも失せ物探しも乞われるままにしてあげている私と、重い年貢を取り立てる領主と――どちらを信用するだろうか。もっとも、処罰を怖れて私の訴えには沈黙を保つだろうけれど。
 司祭は小机の上の道具を片付けると、ディーツと連れ立って(ギドを従えて)小屋から出て行った。
 ……喉の奥に不気味な塊りが居座っている。口の中に鉄臭い味がわだかまっている。吐き出した唾は真っ赤だった。不気味な塊りがせり上がってきて、私は激しく咳き込む。
「おほっ……こほほっ」
 ……なんだか、ひどくおかしい。
「あえ……?」
 声が出なくなっている!
「わああああああっ……?!」
 叫ぼうとしたけど、激しく息が噴き出るだけで声にならない。
 愕然と悟った。さっきの針金と薬。喉を潰されたんだ。裁判の場で真相を暴かれるのを惧れたんだ。
(卑怯な……!)
 全身が燃え上がるような憤怒の炎――は、すぐに立ち消えて、果てしない絶望がのしかかってくる。私は身の潔白を訴える機会すら奪われた。村人にも魔女と誹られながら焼き殺される……
「うわああっ……おおおおお!」
 私は絶叫し慟哭した――声も無く。

 裁判の前夜。二匹の悪魔が、巨漢の使い魔を従えずに小屋を訪れた。二匹がかりで私をあお向けにして、爪先が床に着くまで脚を折り曲げた。さらに脚を開かせて、腕で脛を抱え込むような形で縛る。私は尻を高く掲げて腿の間から胸を突き出して、身動きが取れなくなった。
「司祭殿とも相談したのだがな。腸の筒で包んでおけば、ソドムの罪には当たるまい。鞘のまま汚泥に突っ込んでも、刀身は汚れぬのだから」
 すでに私は、ディーツのひねくれた物言いに馴れている。あろうことか、こいつは肛門を犯すと言っているのだ。
 信心深い娘なら、聞いただけで発狂するかもしれないけれど……私は、諦めの上に諦めを積み重ねただけだった。口に突っ込まれたのと同じことだ。私の意志ではない。薄い腸の皮を隔てていようと生身のままであろうと、罪を犯すのは二匹の悪魔どもだ。私は胸を張って、最後の審判の場に立てる。
 私が平然と(実際には悲哀の底に悄然と)しているのが、悪魔どもの機嫌を損ねたのだろう。
「おまえは二度、処刑されることになる」
 司祭が、奇妙な脅し方をした。
「どうあっても自白しない魔女の審判がどのようなものか、おまえは知っているか?」
 物事の善悪が分かるようになった時分に、母から聞かされたことがある。水に浸けるのだ。水は神聖であるから魔女や罪人を受け容れない。つまり水に浮かぶ。潔白であれば、その者は沈んで浮かび上がってこない。審判といいながら、実際には処刑だった。水に浮かべば魔女と断定されて火刑に処せられ、潔白であれば溺れ死ぬ。
 司祭は、得々とそれを語った。
 それ以上のことも、私は知っていた。定住民と諍いを起こして、そのようにして殺された放浪民もいたと、母は教えてくれた。未来を占ったり惚れ薬を売ったりするのだから、難癖はいくらでもつけられる。そういった危険を知っていたのに、いつか忘れて千里眼などを得意げに使っていたのだから……自業自得なのかもしれない。
「おまえは、まず溺れ死んで、それから魔女として水に浮かぶのだ。死体に見えても悪魔の所業で甦るかもしれぬから、灰になるまで焼き尽くしてやる」
 なぜ、確信をもってそんなことが言えるのか――は、尋ねるまでもなく、種明かしをされた。
「これは、ある種の鉱石を焼成した粉末だ」
 少量の灰白色の粉が、小さな革袋に入れられた。
「こちらの腸には、レモンの絞り汁を入れてある」
 男根に嵌める薄い革の筒は口を糸で縛られて、親指くらいの大きさになっている。それも革袋に封じられた。
 司祭は革袋を、私の乳房の間に置いた。そして、弾みをつけて踏んづけた。
 ぐきっと肋骨が鳴った。ひびがはいったかもしれない。けれど、明日には焼かれるかもしれない身体のことを心配するよりも……手品なのか、魔術なのか。しなびていた革袋がじわじわと膨らみ始めた。やがて、はち切れそうなほど膨れて、縛った袋の口からしゅうしゅうと風が噴き出る。
「これをおまえの身体に着けて川に放り込む。黙って裁きを受け容れた哀れな小娘が溺れ死ぬと、邪悪な魔女が浮かび上がってくる。なかなかの趣向だとは思わぬか」
 どれほどに落胆して絶望のどん底に沈んでいても、それでも燃え盛る憤怒はある。私は司祭の顔めがけて唾を吐いてやった。けれど、自身の下腹部が淡いピンク色にかすかに染まっただけだった。
「この期に及んでも活きがいいな。それでこそ愉しめるというものじゃ」
 司祭は法服を脱ぎ捨て下穿きをずり落として、すでに醜悪に聳え立っている部分に腸の薄皮をかぶせた。
「おっと。無理をすると破れるからの」
 先端を唾で湿すと、私の膝の裏に手を突いてのしかかってきた。
 紛れもない処女地に、邪悪で強固な杭が打ち込まれた。
 めりめりと穴が引き裂かれる。肛門から脳天まで、初めての交わりとは異質の痛みが突き抜ける。
「うあああああ、いあい…………!!」
 悲鳴は断末魔の息にしかならなかった。
「うおおおおお。生娘よりも強烈な締めつけじゃ」
 神様に仕える者にあるまじき告白をしながら、司祭はあっけなく果てた。バツが悪そうにそそくさと抜去して、内側に膿を溜めた薄皮を私の乳房の上に投げ捨てた。薄皮に黒っぽい汚れがまばらに付着している。
「では、御坊のお導きで、わしもロトの道を辿るとしよう」
 ロトは、神に滅ぼされたソドムの街から逃れた男だ。こいつらにとっては、私はすでに塩の柱と化しているのかもしれない。
 私はふたたび、声にならない悲鳴を叫んでしまった。
 ディーツは司祭よりも長持ちしたけれど、それでも、初心な少年と同じくらいに早かった。だから私も、長くは苦しめられなかった。
 それよりも、むしろ……二つ折りにされて、双つの乳房にそれぞれの汚辱を貼り付けられて、そのまま朝まで放置されたことのほうが、よほどつらくて屈辱だった。

 五日目の朝を迎えて。昼過ぎに、私は石造りの小屋から引き出された。捕らえられたときと同じに、全裸で首枷を着けた姿で、川べりに集まった村人たちの前に立たされた。
 お館のそばにある村からは五十人ばかりが、荘園にちらばっている小さな集落からも数人ずつの代表が集まっている。ほとんどの人は顔見知りだ。私の傷だらけの無惨な裸身をまともに見つめる人は、ひとりもいない。敬意を払うべき領主に疑いの眼差しを向け、司祭には目を伏せている。
「この娘、イレーネ・グリュンは数々の証拠にもかかわらず、魔女であると認めておらぬ。よって、神の御名において、魔女判定を行なうものである」
 司祭は、私がヘラ・マイヤー殺しの犯人であるだけでなく、一昨年に五人が亡くなった熱病も昨年の風害も、猪が畑を荒らしたのも子供が川で溺れたのも――ありとあらゆる災厄を私が悪魔と結託して起こしたのだと告発した。
「申し開きはあるか」
 声を奪われている私は、首枷にはばまれながら弱々しく首を振ることしかできない。
「沈黙は告発を認めるに等しいのだが、決定的な証拠を得るために、聖なる水による判定を行なうこととする」
 私は軛を解かれて、棺桶の蓋に手足を広げて太い鎖で縛りつけられた。裸を晒し恥部を露出させることで私を辱しめようとしているのだろうけれど、どこにも『浮き』なんかを仕込んでいない証にもなっている。その実、蓋の裏側にはぺしゃんこにした革袋が幾つも縫い付けられている。
 川べりには、この残酷な見世物のために作られた櫓が立ち、その頂点から長い天秤棒が川に向かって伸びている。棺桶の蓋の四隅に太い鎹が打ち込まれて、天秤棒から垂れている鎖がつながれた。司祭は横に立って、革袋から伸びる数本の紐を握っている。その紐を引くと、革袋の中に仕込まれたレモンの絞り汁の小袋が破れるのだろう。紐には祈りの文句を書いた紙が結ばれているから、絡繰を知らない人たちは、儀式のひとつくらいにしか思っていないだろう。
 天秤棒の反対の端にくくりつけられた大きな岩が、集まった人たちの中から選ばれた三人の手で押し下げられて――私は、川の上に宙吊りにされた。
 そして、ゆっくりと天秤棒が下がって、私は水中に放り込まれた。
 水の中で息をするとたちまち溺れるくらいは私も知っている。けれど、拷問と絶食で体力も気力も奪われえているし、喉を潰されたときの傷が息を痙攣させる。
 がぼっと水を吸い込んでしまい、咳き込んでますます水が喉に流れ込み胸に染み込む。冷たい水が灼けるように熱い。
 目の前が赤くなり、次第に暗くなっていく。
 死にたくない。たとえ最後の審判で復活するにしても……死ぬのは怖い。
 死を目の前にして、拷問への恐怖や強嵌への屈辱など忘れて、ただただ死にたくないと心の底からそれだけを思った。
 いや、それだけではなかった。ディーツと司祭への憎悪が、炎のように燃え上がる。おのれの淫楽のためにヘラを殺した事実を許せないだけじゃない。私に罪を着せて、悪魔どもは平然と生き長らえる。もしかすると、ほとぼりが冷めたら、また罪のない娘を殺して、さらに別の娘を犯人に仕立てかねない。
 真の悪魔を告発できるのは、私しかいない。不可能を生き延びて、声が出なくとも二人を告発して……
………………
…………
……心の奥底に渦巻く二つの想いが、互いに巻き込み合って、渦の中心へと怒涛のごとく流れ込んで。
 言葉に表わせない衝動が噴き上げた。
 不意に全身が爆発したように感じた。
 私を押し包んでいた水が弾け散った。
 ぐうんと、身体が――棺桶の蓋に縛りつけられたまま浮き上がった。
「おおおおっ……?」
「きゃあああっ……」
「……イェーザス!」
 驚愕の怒号の中を、私はさらに浮き上がり続けて。
 私は十フィートもの高みから、ディーツと司祭を、ここに集まった人々すべてを見下ろしていた。
 みんなも、私を見詰めている。はっきりと恐怖の色を浮かべて。
「ああああ……魔女だ!」
 その叫びがきっかけになって、人々が逃げ始めた。
 ディーツは腰を抜かして、呆然と私を見上げている。司祭は手にしていた十字架を私に向かって突きつけて、なにか祈りの文句をつぶやいている。
 ひときわ巨躯の目立つギドは……私と目が合うなり、腕で顔を隠してその場にうずくまった。
 私の中から、不可思議な衝動が消えていく。
 私は魔女だったのだ。水に浮かぶどころか、宙に浮いている。
 どのような告発も、人々は信じないだろう。
 私は恐れられ忌み嫌われ、捕らえられて――炎の中に投げ込まれるだろう。
 理不尽への怒りに縁取られた絶望ではなく。自分自身の存在を自分自身で否定する絶対的な絶望が、私を蝕んでいく。
 ――私は空中から転落した。
 陽光に煌めく水飛沫。それが、最後に見た景色だった。

   ◇     ◇     ◇

 きゃああああああっ……
 ベッドからころがりおちちゃった。
「ママ! ママ……!」
 ひめいをあげたのはゆめのなかじゃなくて、ほんとだったんだろう。すぐにママがきてくれて、だきおこしてくれた。
「ママ、ママ、ママ……」
 しがみついて、なきじゃくった。
 ぎゅって、だいてくれて。せなかをなでてくれた。ママのてから、やさしさがからだじゅうにしみこむ。
「こわいゆめをみたの。ううん、ゆめじゃない。ミアは、おねえさんだった。たたかれて、いっぱいいっぱい、いたいことされて……」
 わるいゆめだったのよと、ママはあんしんさせてくれるとおもっていたのに。
「そうよ。ミアの見た夢は、昔にほんとうにあったことなの。あなたのひいおばあ様の妹の娘――つまり遠いご先祖様は、ミアが夢で見たとおりの目に遭って、殺されてしまったのよ」
 ゆめのつづきみたいな、おそろしいこえだった。
「やだあああああああ!」
 ものすごくこわくなって、はかなきりごえをあげた。それなのに、ママはミアをおどかすの。
「もしもミアが、イレーネと同じように不思議な力を人に見せたら、ミアも迫害……ひどい目に遭わされるのよ」
「やだ、やだやだやだあ……!」
「だからね……」
 ママのこえが、やさしくなった。
「遠くにある玩具を、手を使わないで引き寄せたりしてはいけないのよ。ほかの人にはできないことなのだから。サラダからニンジンを吹き飛ばすのも駄目よ。どうしても嫌なら、お皿の中に残しておきなさい。約束できる?」
「やくそくする! そしたら、おねえさんみたいに……あの、ええと……」
 強嵌ということばがうかんだけど、なんのことかわからなかった。
「……ひどいこと、されないのね。そうだよね?」
「ええ、そうよ。必ず、パパとママとでミアを守ってあげる」
 それでもこわくてこわくて、ミアはずっとママにしがみついていた。

>>軌道干渉

 誰かが強くわたしのことを考えている。そう知覚してすぐに、モバイルフォンにショートメッセージが届いた。
“05291400UTC@New York”
 万一の漏洩を警戒した日時と場所だけの指定は最緊急かつ最高機密を意味する。わたしは、すぐに旅行の準備にとりかかった。

 ニューヨークの国連本部の近くにある小さなビル。リアルに訪れるのは初めてだけど、VRでは何度か来ている。
 COO(Chief Operating Officer:二酸化炭素とかガスと呼ぶと、機嫌を損ねる)の部屋には、すでに四人の男女が集まっていた。
「はじめまして、ハニファ」
「お目にかかるのは初めてですね、エリー」
「あなたが駆り出されるなんて、力仕事になるのね、マティ」
「あたしひとりじゃ足りないみたい」
「ハイ、ソフィア」
「ハイ、エリー」
「ガイダンスをよろしく、エリー」
「やはり、わたしの役どころはそこかしらね、シールン」
 ハニファはクレアヴォユール、あとの三人はZランクのサイコキノだった。Zランクというのは半分ジョークだ。ゲームでも実世界でも、Aランクの上にSランクがあるという設定が多い。しかしその遥か上、ゲームになぞらえるなら(ボスキャラの)最終進化形態がZランクだ。マティは、思念を凝らせば貨物を満載した大型トラックを空中に浮揚できる。
 それにしても。マティはインドの奥地で修行していたはずだ。空港へ出るだけで半日はかかる。
「こちらの手でSR71を手配した。空軍基地までは軍用ヘリを使った」
 COOが私の疑問を読んで答えてくれた。
SR71は米空軍の超音速偵察機だ。つまり――すくなくとも米国とインド政府の協力を取り付けている。
「そう大っぴらにできる問題ではない(重大すぎる)。上層部にいる友人の非公式な協力によるものだ(ICBMは、さすがに無理だが)」
 COOの言葉に彼の内言がかぶさった。発された言葉にだけ集中しようとわたしが(強く)意識しないかぎり、そうなる。それにしても、ICBMとは。
「では……」
 わたしを除く四人が重ねた右手を、COOが上下から包む。わたしはCOOの背中に手を触れて、心の耳を澄ます。
 本流のような逐語的イメージに実映像やCGやグラフが重なって――膨大なスペクトラムが脳裡に展開される。

・質量五百万トンの小惑星が地球を直撃する。
・ICBMをキネティック・インパクターに
 仕立てている時間的余裕は無い。
 →宇宙速度まで加速するブースター
   Σt(設計/製造/改修)
 →接近してからのインパクトは無意味
  距離×角度=変位量
→国際的コンセンサス形成のタイムロス

 小惑星が衝突すれば、半径数十キロメートルが壊滅的な被害を受ける。しかも落下地点はジャパン第二の都市オオサカだ。これは軌道計算による予測ではなく、予知能力者による一次値――『予言』を知った者が何もしなければ、一次値が現実となる。
組織の統括下にある超能力者を動員して小惑星の軌道を捻じ曲げるしか、破局を免れるシナリオは無い。
 ここに集まったCOOを含む六人が、その中核メンバーだった。
 ハニファが千里眼で見通しCOOを介して伝えられる小惑星のビジョンに向けて、三人のサイコキノが思念を集中する。三人のψ波をひとつに集束させるのが、わたしの役目だ。衝突を予知したジホとニャムは、カッサンドラのジレンマを避けて、遠く離れたシドニーにいる。
 カッサンドラのジレンマ。悲劇を予知して、それを回避しようと試みるときに生まれる矛盾だ。
 トロイの滅亡を予言したカッサンドラの言葉を誰も信じなかった。だからトロイは滅びた。しかし、彼女の言葉を人々が信じて木馬を城内に引き入れなければ――結果として、予言ははずれる。この場合は、木馬の中に敵兵が潜んでいるのだから、まだカッサンドラに救いはある。
 では、旅客機がパイロットのミスで墜落すると予知したら、どうなるか。その旅客機が運航を取りやめれば、もちろん事故は起こらない。もし飛んだとしても、パイロットが予知を信じていつも以上に慎重になれば、ミスを回避できるかもしれない。逆に、パイロットが慎重になり過ぎたあまりに判断が遅れてミスを誘発するというケースも考えられる。予知が為されたが故に事故が生じるという、これもパラドックスだ。
 予知が実現しなければ、予知者は信用を失う。予知が実現したら、現在の世の中では予知者がテロリストと疑われる惧れさえある。
 すでにわたしたちは、一次値を知っている。その惨劇の回避に努めた結果、すなわち予知の二次値は……結果が確定するまで、わたしたちは知るべきではない。
 わたしがその気になれば、たとえジホとニャムが月にいようと、ふたりの心を読めないことはない。けれど、距離はすくなくとも心理的な障壁にはなる。フェスティバルの真っ只中にいたら、遠くの山頂からこちらに手を振っている人になんか気づかないのと似たようなものだ。

 ――毎日三十分ずつ二回、わたしたちは精神を燃やし尽くして小惑星と格闘した。世界中には、組織に所属するサイコキノが百人以上もいたが、その人たちに協力は求めなかった。ただ『小惑星をそらす』という思念では駄目なのだ。はっきりと目標を見通して、サイコキネシスを働かせる方角を確固と定めて――それには、すくなくともSランクのクレアヴォユールとテレパスの協働が不可欠だった。
 二か月におよぶ奮闘の経過は省略する。
 小惑星は地球から十万キロメートルの距離を通り過ぎたのだった。


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 「私」は主人公と、過去のヒロインです。過去のヒロインは、実は現在のエスパーが持つご先祖様の記憶です。卓越超絶したポテンシャルの持ち主であるヒロインが、自分を(理由あって)拷問にかけているエスパーたちから読み取った――という設定まで作中で明かすかどうか未定ですが。
 時代が現在に近いSFパートでは、語り手の一人称を変えています。さらに、フォントもゴシックにして。ヒロインと同じ場面すなわち現在ズバリでは、斜体ゴシックにして、読者の理解の手助けとしています。遊んでいるともいいます。


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