Progress Report 1:昭和集団羞辱史物売編(昼)
年始年末の御挨拶やら新刊発売案内やらをしている間に、それなりに進んでいます。
序盤は端折って、前半の山場をご紹介といきましょう。
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厳そかな淫事
「参拝に来駕くだされた皆様には、まずは厳しい現実を見詰めていただきたい」
競輪場とは反対の方角にある地方競馬場。そこから二キロほど離れた地にある寂れた神社。衣冠に身を正した神主が、十三人の参拝客を前に、ものものしい口調で講話を垂れている。巫女装束に身を包んだ美子は、その横に佇立して虚空を見つめていた。稽古で何度も聞いている神主の言葉を、自然と心の中で繰り返している。それほど退屈だった。
神主は言う。皆が違う勝ち馬に票を投じれば、当たるのは一人きりであろう。また、大欲を掻けば霊験はたちどころに消え失せる。『舌切り雀』で大きな葛籠を欲張った意地悪婆さんを見るがよろしい。
「では、なにゆえに御守を持つのであるか。心穏やかに頭涼やかに、立ち振る舞うためである」
甲の馬が勝つか乙が勝つか。甲が勝っては利が薄いとして乙を買うのは大欲である。一着二着は甲乙と並ぶか、甲丙と来るか。そればかりを考えて、乙丙の並びを見落としてしまう。これは頭に血がのぼっているからである。このようなとき、御守を握り締め霊験を祈願すれば、心落ち着き頭冴え渡り、見落としていたものも見え、大欲を戒める心を取り戻すであろう。逆に、推理には自信があるのに、あまりに大胆な目なので土壇場で怖じ気づいて見送って、そういうときに限って予想通りになってしまう。こんなときは、御守の霊験を信じて少額でも買っておく。たとえ外れても自分に納得できるであろう。
「鰯の頭も信心からと申すが、節分会に鰯を軒先に飾って厄除けとするのも古人の知恵である」
分かったような騙されているような――つまりは、逆恨みされないための予防線なのだが、神主さんに厳そかな口調で説教されると、なんだかありがたく聞こえてしまう。
神主の講話が終わると、いよいよ神事というよりも淫事の始まりである。
供え物をすべて取っ払った祭壇に美子が横たわる。へその上で手を組んで、動かない。
この一か月、競馬の開催を待つ期間を利用してリハーサルを繰り返してきた。手順は、すっかり頭にはいっている。そもそも、美子は複雑な演技を求められていない。恭々しくおっとりと振る舞えば、それでいいのだ。
神主が美子の上の空間を御幣で払って祝詞を唱え始めた。
「とおかえみたえとおかえみたえ。かけまくもかしこきいちきしまひめのみことのおおまえをおがみまつりてかしこみかしこみもうさく」
ぼんやり聞いていると意味不明な呪文にしか聞こえない。けれど、ことさらに区切って発音するので容易に聞き分けられる部分もある。
「この穢れなき乙女を依り代となし、当地において当月に催される勝ち馬当てに御霊験を顕わし給え」
最後に、御幣が大音声の掛け声とともに御幣で美子の下腹部を祓う。
「喝ーッ!」
びくんっと、美子が跳ね起きる。
神主が一礼して脇へ退くと、祭壇の両側に控えていた童女二人がしずしずと近寄り、左右から手を取って美子を祭壇から下ろした。虚空をぼんやりと見詰め参拝者に正対して立っている美子の前に跪くと、緋袴を脱がせ白衣の前をはだけた。白衣と緋袴の下は素肌だった。
美子が自身で白衣の襟先を摘まんで左右に開いた。市杵島姫が宿っている部分は、童女の頭に隠れて参拝者からは(微妙に)見えない。
神主が動いて、美子の足元に三宝を二つ並べた。童女二人が、紅白の紐緖で飾られた毛抜きを美子の下腹部にあてがい、慎重な手つきで一本ずつ引き抜いた。それを小さな美濃紙に包み、封じ目を糊付けして朱印を捺してから御守袋に納めた。三宝の上に十個の御守が並べられると、神主が三宝を取り替える。
次は、美濃紙に三本ずつ包んで、一本のより大きくきらびやかな御守袋に納めた。
童女二人が美子の装束を直す間に、祭壇に合計二十個の御守袋が並べられる。
美子が、拝殿の一画を区切る簾の陰に隠れた。
「御守を求められるお方には千円もしくは三千円の御寄進をお願い申し上げる。額に応じて、一点のみ御守をお渡し致す」
早くも財布を取り出す者もいる。
神主が、もったいをつけて咳払い。
「おひとりずつお祓いをして、依り代たる巫女の霊璽、仏教で言う御本尊、それを拝観していただき、自身の手で内符を抜いていただく秘義も用意しておるが、こちらは三人様限りとして、一万円の御寄進をお願い申し上げる」
一万円といえば、サラリーマンの給料の半月分にもなる。さすがに、財布を取り出した手も止まる。数秒の沈黙が流れて。
「よろしい、私はそっちだ」
サラリーマンふうというよりも重役の風情を漂わせた中年の男が、長財布から一万円札をおもむろに抜き出した。
「俺もだ」
張り合うように、こんな場所でも色鉛筆を耳に挟んでいる若い男も名乗りをあげた。
「では、秘事への御寄進はお二方と承ってよろしいか」
神主が、参拝者を見回す。
「借用書では駄目でしょうか」
返すあてがあるのかと疑ってしまうような、上着にもズボンにも継ぎを当てている初老の男が、駄目元といった口調で尋ねた。
「当社(やしろ)では、現銀しか御寄進を受け付けておりませぬ。しかしながら……八田金融殿、お出ましくだされ」
拝殿の外扉が開いて、八田勇次と二人の乾分が入ってきた。
「トイチでよければ融通しますよ」
トイチ。十日間で一割の利息という法外な金利である。しかし、ヤクザが仕切る鉄火場ではカラス金(がね)、カラスが夕方にカアと鳴くたびに一割というボッタクリが横行している。それに比べれば良心的な金利ではあった。
「貸してくれ」
貧相な初老の男だけでなく、さらに二人が手を挙げた。
「いや、三人までと申したはず……」
神主が困惑の表情を作った。
「では、お三方の熱意に敬意を表して、私は遠慮しよう」
重役が、あっさりと降りた。
「俺ァ引かねえぜ。四人が定員オーバーてんなら、ジャンケンだ」
鰯の頭を一万円で買おうという男たちだ。売られた勝負を逃げるはずもなく――三回のアイコの後もしつこくグウを出し続けた色鉛筆が敗退した。
勝った三人は脇に待たせて、残る十人への御守の販売(寄進への返礼)は、数分で終わった。ひとり残らず三千円だった。一本と三本なら、有り難みも三倍。先の戦争でも、日本はアメリカの物量に敗北した。その記憶も、三十歳以上には生々しい。
十人が拝殿を退出して、いよいよ淫事が始まる。といっても、美子が公衆便所の裏手でしていたことと、基本は同じである。
祭壇に立った美子を童女ふたりが、今度は素裸まで脱がせる。
さすがに、美子の全身が羞恥で淡いピンク色に染まった。勇次や乾分に見られながらのリハーサルで、平然と振る舞えるようにはなったのだけれど、困った問題も新たに生じた。指一本触れられていないのに、腰の奥がきゅうんとねじられるような感覚が湧いて、粘っこい汁が垂れてくるのだった。
「市杵嶋姫の神様が宿ったって、客はありがたがってくれるだろうよ」
勇次はそんなふうにからかってから、しみじみと述懐したものだった。
「要は一人前の女になったってことさ。俺もずいぶんと場数を踏んじゃあいるが――生娘のまま女にしたのは、おめえが初めてだ」
女にするに二つの意味があるとは気づかない美子だったが、格別の思い入れを持ってくれているのは、素直に嬉しかった。なんといっても、まったく未知の快感を教えてくれた男なのだから。
もっとも、あの凄絶な体験を勇次は二度と与えてくれていない。
「最初の興業が上首尾にいけば、また弄ってやるよ」
だから、今日は絶対にしくじれない。ぼうっとしていればいいようなものだけど、神憑りの演技なのだ。
美子は祭壇に腰を下ろした。まさか神罰が下ったりしないよねと、ちょっぴり不安なのだが、実のところ、その恐れはないのだった。
そもそも、この神社は稲荷大明神とも市杵嶋姫とも、所縁はない。賭事の神様としても知られる稲荷大明神を担ぎ出し、どうせなら女神が良いだろうと、八田勇次がでっち上げたのだ。狛犬に替えて稲荷狐の石像を据える凝り様だった。どこぞのガラクタ屋から引っ張ってきたのだが、幾らかは元手が掛かっている。
その縁もゆかりもない神に向かって、神主が祝詞を唱えながら、御幣で太腿のすぐ上の空間を祓う。その都度に、美子は少しずつ脚を広げていった。
やがて百五十度ほども開脚して、ようやく祝詞が終わった。ストリップ孃でも、おいそれとはここまで御開帳しない――とは、美子の知らないことだった。しかし、自分の指で広げず他人にも触れさせない(どちらも、神々しくない)となると、こうでもする他はない。
「それでは、お歳の順にひとりずつ拝観なされよ。御神体を頂戴するときのみ、巫女の肌に触れてもよろしい」
最初に借用を申し出た初老の男が、美子の前に跪いた。神主は何も言わない。男はきちんと二礼二拍手一礼をしてから、顔をいっそう近づけて美子の股座(またぐら)を覗き込んで。
「おお……」
感に堪えたようにつぶやいて、また柏手(かしわで)を打った。処女膜を見るのは、これが初めてなのかもしれない。
単純な算術に基づく推定である。処女を何人も食う男がいるのだから、生涯処女を抱けない男もいる。また、瓜を破る行幸に恵まれたとしても、行為の前に処女膜を確認する者が何人いるだろうか。
感激している男の左右に童女二人が座って、三宝を捧げる。右の三宝には毛抜き、左には御守袋の材料。
男が毛抜きを手に取った。
「それじゃ、失礼いたしまして」
演出に呑まれて、神妙な言葉遣いになっている。左手を遠慮がちに下腹部に這わせて逆撫でし、起き上がった淫毛の一本を抜いた。
美子は、ぴくりとも動かなかった。神事としての演出。それが『客』を満足させるのだと勇次は言う。御神籤の大凶を引いたから、起工式で神事を執り行なったのに大事故が起きたからといって、誰が神社を責めるだろうか。
男は淫毛を左の童女が差し出す美濃紙に載せると、二本目を同じ恭しさで抜く。赦されているのは三本。三千円の御守と同数だが、あちらが二十五番(二百五十瓩)爆弾三発なら、こっちは八十番(八百瓩)三発に匹敵する――とは、大勝負で三十倍配当を物した直後に上げた、元艦上爆撃機乗りのこの男の気焔であるが、それはさておき。
三本の淫毛は童女の手で御守袋に封じられて、男に手渡された。神主の手を経ず、清らかな乙女しか手を触れていない。これも細部の演出だった。
男は空になった三宝に千円札を載せた。寄進の一万円とは別口だった。
男が元の座に戻って、二番手はそれなりに身だしなみの整った中年。彼は巫女の股間を覗き見て、おや――という顔をした。彼の知っている処女膜とは様子が違っていたのかもしれない。
注記
処女膜の形状が千差万別であることは、現在の読者には自明でしょうが、当時は専門的な医学書か密輸入した海外のポルノ雑誌くらいしか情報源はなかったのです。
もちろん異議を申し立てたりはせず、中年男は最初の男と同じように、神妙に御守袋を押し頂き、二千円を供えた。同じ御守を持って異なる出目を買うのであれば、寄進の多いほうに神様は見方してくれるだろう。
考えることは誰も同じで、三番手の若者は三千円を張り込んだ。
こうして、初商いは上首尾に終わった。売上は三千円が十個と一万円が三つ。それに拝観料(?)が六千円。ただし、一万円を張り合って退いた二人はサクラなので、彼らが改めて購入した三千円の二個は差し引いて。合計六万円ちょうど。
サクラと四人の客引きへの手間賃が千円ずつと、童女へのお小遣いが百円ずつ。小遣いといえば十円玉が相場なのだから、日雇いの日当程度を貰う六人よりも喜びは大きい。
端数は御守袋の材料費や巫女衣装や、狛狐の減価償却に充てる。
残る五万三千円は、神社と八田組が四割ずつ。美子の取り分は二割だが、それでも一万円以上。ひとりでお客を物色したときの二倍半にもなった。
もっとも、サクラも客引きも八田組の者だし、童女まで組員の子供なのだから、いちばん儲かるのが興業主なのは、世間にありふれた図式である。
「大仰な道具立ての割にゃあ、時化た稼ぎだな」
勇次はぼやいたが、顔は笑っている。サラリーマンの月給くらいが半日で稼げて乾分にもボーナスをやれたのだから、直系は五十人そこそこの弱小ヤクザのシノギとしては悪くない。なにより、宗教法人が表に立っているから、警察も税務署も怖くなかった。
「毎日二回三回と興業を打ちたいところだが、それじゃ有り難みが薄れるってもんだ。とはいえ、せめて土曜日もやりてえな。開催の間だけでいい、休みは取れないのか」
問われて、美子は即答した。
「はい、だいじょうぶです。有給休暇を取ります」
病気でも身内の不幸でもないのに有給休暇を申請するのには勇気が要るけれど、勇次さんが言うのなら、無断欠勤も厭わない。快感の記憶は美子の裡で一途な恋愛感情へと変化していた。
「よし、いい子だ。たっぷり可愛がってやるぜ」
狛狐を犬へ戻す力仕事も細々とした後始末も、神社と乾分に任せて、勇次は美子を連れ出した。
行き先はありふれた連れ込み宿だったが、壁の一面に張られた鏡のせいで、独身寮の相部屋よりも広く感じられ、布団はずっと豪華だった。
さんざん羞ずかしい部分を見られているとはいえ、勇次と二人きりで一糸まとわぬ素裸になるのは、これが初めてだった。
勇次もパンツひとつになって、一か月前に美子を説得したときよりもずっと長く激しく美子を爪弾き吹き鳴らした。
――一時間以上も演奏されて、幸せな疲労困憊にたゆたっていると、風呂を勧められた。各部屋に内風呂があるのだという。
勇次が勧めてくれることは、なんであれ否やはない。勇次が甲斐甲斐しく風呂の支度をしてくれる間に、少しずつ人心地を取り戻し(たくなかった)、美子はひとりで湯船に浸かった。
こんな仲になったのだから、もしかすると勇次さんも入ってくるかもしれない。期待しながら待っていたのだが、空振りに終わった。
「やはり美子も女だな。長風呂もいいとこだ」
誰のせいだと思ってるんだろうと――でも、初めて名前で呼んでくれたので、機嫌を損ねたりはしなかった。
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この前の章で、ヒロインは『説得』されて、男の言いなりになっています。
説得と言っても、阿佐田哲也式の
「勘ちがいするなよ。ドサ健から何をきいたかしらねえが、俺はお前を優しくは扱わねえぜ。ーー俺のやりかたは、此奴か、さもなきゃ、これだ」
達ははじめに拳固を見せ、それから拳固の中に親指を入れた形をして見せた。
なのですが。拳固の中に親指を入れてしまえば、商品価値が無くなります。
ので、「ハモニカ勇次」の出番です。クリを咥えて「グル゙ル゙ル゙ル゙ル゙……」唇を震わせるという。
これ、自分ではできません。1961年ですから、ピンクローターは存在したものの、純情無垢な乙女が購入できるシロモノではありません。つまり、首ったけになっちゃうわけです。

今回のアイキャッチは、PLOTでは書いていたものの、鉄火場へ心逸る男どもには、まどろっこしいだろうと端折った(ではなく、忘れていて書かなかった)水行で身を清めるシーン……ですかね、これ?
ああ、サブタイトルですが、「おごそか」は普通「厳か」と書きます。それでは他のサブタイトルと文字数が合わなくなるので、余計に送ったわけです。
筆者は基本、「多めに」送ります。標準の表記では二通りに読めて、まったく意味が変わってくる場合があるのです。
私が行った東南アジアにおける売春の実態
「おこなった」のは、調査なのか実践なのか、それはともかく。私が行為者です。
「いった」だと、私は東南アジアへ行きました。(資料によりますと)かの地における売春の実態は――私は傍観者です。
というわけで「行なった」と送るのです。
序盤は端折って、前半の山場をご紹介といきましょう。
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厳そかな淫事
「参拝に来駕くだされた皆様には、まずは厳しい現実を見詰めていただきたい」
競輪場とは反対の方角にある地方競馬場。そこから二キロほど離れた地にある寂れた神社。衣冠に身を正した神主が、十三人の参拝客を前に、ものものしい口調で講話を垂れている。巫女装束に身を包んだ美子は、その横に佇立して虚空を見つめていた。稽古で何度も聞いている神主の言葉を、自然と心の中で繰り返している。それほど退屈だった。
神主は言う。皆が違う勝ち馬に票を投じれば、当たるのは一人きりであろう。また、大欲を掻けば霊験はたちどころに消え失せる。『舌切り雀』で大きな葛籠を欲張った意地悪婆さんを見るがよろしい。
「では、なにゆえに御守を持つのであるか。心穏やかに頭涼やかに、立ち振る舞うためである」
甲の馬が勝つか乙が勝つか。甲が勝っては利が薄いとして乙を買うのは大欲である。一着二着は甲乙と並ぶか、甲丙と来るか。そればかりを考えて、乙丙の並びを見落としてしまう。これは頭に血がのぼっているからである。このようなとき、御守を握り締め霊験を祈願すれば、心落ち着き頭冴え渡り、見落としていたものも見え、大欲を戒める心を取り戻すであろう。逆に、推理には自信があるのに、あまりに大胆な目なので土壇場で怖じ気づいて見送って、そういうときに限って予想通りになってしまう。こんなときは、御守の霊験を信じて少額でも買っておく。たとえ外れても自分に納得できるであろう。
「鰯の頭も信心からと申すが、節分会に鰯を軒先に飾って厄除けとするのも古人の知恵である」
分かったような騙されているような――つまりは、逆恨みされないための予防線なのだが、神主さんに厳そかな口調で説教されると、なんだかありがたく聞こえてしまう。
神主の講話が終わると、いよいよ神事というよりも淫事の始まりである。
供え物をすべて取っ払った祭壇に美子が横たわる。へその上で手を組んで、動かない。
この一か月、競馬の開催を待つ期間を利用してリハーサルを繰り返してきた。手順は、すっかり頭にはいっている。そもそも、美子は複雑な演技を求められていない。恭々しくおっとりと振る舞えば、それでいいのだ。
神主が美子の上の空間を御幣で払って祝詞を唱え始めた。
「とおかえみたえとおかえみたえ。かけまくもかしこきいちきしまひめのみことのおおまえをおがみまつりてかしこみかしこみもうさく」
ぼんやり聞いていると意味不明な呪文にしか聞こえない。けれど、ことさらに区切って発音するので容易に聞き分けられる部分もある。
「この穢れなき乙女を依り代となし、当地において当月に催される勝ち馬当てに御霊験を顕わし給え」
最後に、御幣が大音声の掛け声とともに御幣で美子の下腹部を祓う。
「喝ーッ!」
びくんっと、美子が跳ね起きる。
神主が一礼して脇へ退くと、祭壇の両側に控えていた童女二人がしずしずと近寄り、左右から手を取って美子を祭壇から下ろした。虚空をぼんやりと見詰め参拝者に正対して立っている美子の前に跪くと、緋袴を脱がせ白衣の前をはだけた。白衣と緋袴の下は素肌だった。
美子が自身で白衣の襟先を摘まんで左右に開いた。市杵島姫が宿っている部分は、童女の頭に隠れて参拝者からは(微妙に)見えない。
神主が動いて、美子の足元に三宝を二つ並べた。童女二人が、紅白の紐緖で飾られた毛抜きを美子の下腹部にあてがい、慎重な手つきで一本ずつ引き抜いた。それを小さな美濃紙に包み、封じ目を糊付けして朱印を捺してから御守袋に納めた。三宝の上に十個の御守が並べられると、神主が三宝を取り替える。
次は、美濃紙に三本ずつ包んで、一本のより大きくきらびやかな御守袋に納めた。
童女二人が美子の装束を直す間に、祭壇に合計二十個の御守袋が並べられる。
美子が、拝殿の一画を区切る簾の陰に隠れた。
「御守を求められるお方には千円もしくは三千円の御寄進をお願い申し上げる。額に応じて、一点のみ御守をお渡し致す」
早くも財布を取り出す者もいる。
神主が、もったいをつけて咳払い。
「おひとりずつお祓いをして、依り代たる巫女の霊璽、仏教で言う御本尊、それを拝観していただき、自身の手で内符を抜いていただく秘義も用意しておるが、こちらは三人様限りとして、一万円の御寄進をお願い申し上げる」
一万円といえば、サラリーマンの給料の半月分にもなる。さすがに、財布を取り出した手も止まる。数秒の沈黙が流れて。
「よろしい、私はそっちだ」
サラリーマンふうというよりも重役の風情を漂わせた中年の男が、長財布から一万円札をおもむろに抜き出した。
「俺もだ」
張り合うように、こんな場所でも色鉛筆を耳に挟んでいる若い男も名乗りをあげた。
「では、秘事への御寄進はお二方と承ってよろしいか」
神主が、参拝者を見回す。
「借用書では駄目でしょうか」
返すあてがあるのかと疑ってしまうような、上着にもズボンにも継ぎを当てている初老の男が、駄目元といった口調で尋ねた。
「当社(やしろ)では、現銀しか御寄進を受け付けておりませぬ。しかしながら……八田金融殿、お出ましくだされ」
拝殿の外扉が開いて、八田勇次と二人の乾分が入ってきた。
「トイチでよければ融通しますよ」
トイチ。十日間で一割の利息という法外な金利である。しかし、ヤクザが仕切る鉄火場ではカラス金(がね)、カラスが夕方にカアと鳴くたびに一割というボッタクリが横行している。それに比べれば良心的な金利ではあった。
「貸してくれ」
貧相な初老の男だけでなく、さらに二人が手を挙げた。
「いや、三人までと申したはず……」
神主が困惑の表情を作った。
「では、お三方の熱意に敬意を表して、私は遠慮しよう」
重役が、あっさりと降りた。
「俺ァ引かねえぜ。四人が定員オーバーてんなら、ジャンケンだ」
鰯の頭を一万円で買おうという男たちだ。売られた勝負を逃げるはずもなく――三回のアイコの後もしつこくグウを出し続けた色鉛筆が敗退した。
勝った三人は脇に待たせて、残る十人への御守の販売(寄進への返礼)は、数分で終わった。ひとり残らず三千円だった。一本と三本なら、有り難みも三倍。先の戦争でも、日本はアメリカの物量に敗北した。その記憶も、三十歳以上には生々しい。
十人が拝殿を退出して、いよいよ淫事が始まる。といっても、美子が公衆便所の裏手でしていたことと、基本は同じである。
祭壇に立った美子を童女ふたりが、今度は素裸まで脱がせる。
さすがに、美子の全身が羞恥で淡いピンク色に染まった。勇次や乾分に見られながらのリハーサルで、平然と振る舞えるようにはなったのだけれど、困った問題も新たに生じた。指一本触れられていないのに、腰の奥がきゅうんとねじられるような感覚が湧いて、粘っこい汁が垂れてくるのだった。
「市杵嶋姫の神様が宿ったって、客はありがたがってくれるだろうよ」
勇次はそんなふうにからかってから、しみじみと述懐したものだった。
「要は一人前の女になったってことさ。俺もずいぶんと場数を踏んじゃあいるが――生娘のまま女にしたのは、おめえが初めてだ」
女にするに二つの意味があるとは気づかない美子だったが、格別の思い入れを持ってくれているのは、素直に嬉しかった。なんといっても、まったく未知の快感を教えてくれた男なのだから。
もっとも、あの凄絶な体験を勇次は二度と与えてくれていない。
「最初の興業が上首尾にいけば、また弄ってやるよ」
だから、今日は絶対にしくじれない。ぼうっとしていればいいようなものだけど、神憑りの演技なのだ。
美子は祭壇に腰を下ろした。まさか神罰が下ったりしないよねと、ちょっぴり不安なのだが、実のところ、その恐れはないのだった。
そもそも、この神社は稲荷大明神とも市杵嶋姫とも、所縁はない。賭事の神様としても知られる稲荷大明神を担ぎ出し、どうせなら女神が良いだろうと、八田勇次がでっち上げたのだ。狛犬に替えて稲荷狐の石像を据える凝り様だった。どこぞのガラクタ屋から引っ張ってきたのだが、幾らかは元手が掛かっている。
その縁もゆかりもない神に向かって、神主が祝詞を唱えながら、御幣で太腿のすぐ上の空間を祓う。その都度に、美子は少しずつ脚を広げていった。
やがて百五十度ほども開脚して、ようやく祝詞が終わった。ストリップ孃でも、おいそれとはここまで御開帳しない――とは、美子の知らないことだった。しかし、自分の指で広げず他人にも触れさせない(どちらも、神々しくない)となると、こうでもする他はない。
「それでは、お歳の順にひとりずつ拝観なされよ。御神体を頂戴するときのみ、巫女の肌に触れてもよろしい」
最初に借用を申し出た初老の男が、美子の前に跪いた。神主は何も言わない。男はきちんと二礼二拍手一礼をしてから、顔をいっそう近づけて美子の股座(またぐら)を覗き込んで。
「おお……」
感に堪えたようにつぶやいて、また柏手(かしわで)を打った。処女膜を見るのは、これが初めてなのかもしれない。
単純な算術に基づく推定である。処女を何人も食う男がいるのだから、生涯処女を抱けない男もいる。また、瓜を破る行幸に恵まれたとしても、行為の前に処女膜を確認する者が何人いるだろうか。
感激している男の左右に童女二人が座って、三宝を捧げる。右の三宝には毛抜き、左には御守袋の材料。
男が毛抜きを手に取った。
「それじゃ、失礼いたしまして」
演出に呑まれて、神妙な言葉遣いになっている。左手を遠慮がちに下腹部に這わせて逆撫でし、起き上がった淫毛の一本を抜いた。
美子は、ぴくりとも動かなかった。神事としての演出。それが『客』を満足させるのだと勇次は言う。御神籤の大凶を引いたから、起工式で神事を執り行なったのに大事故が起きたからといって、誰が神社を責めるだろうか。
男は淫毛を左の童女が差し出す美濃紙に載せると、二本目を同じ恭しさで抜く。赦されているのは三本。三千円の御守と同数だが、あちらが二十五番(二百五十瓩)爆弾三発なら、こっちは八十番(八百瓩)三発に匹敵する――とは、大勝負で三十倍配当を物した直後に上げた、元艦上爆撃機乗りのこの男の気焔であるが、それはさておき。
三本の淫毛は童女の手で御守袋に封じられて、男に手渡された。神主の手を経ず、清らかな乙女しか手を触れていない。これも細部の演出だった。
男は空になった三宝に千円札を載せた。寄進の一万円とは別口だった。
男が元の座に戻って、二番手はそれなりに身だしなみの整った中年。彼は巫女の股間を覗き見て、おや――という顔をした。彼の知っている処女膜とは様子が違っていたのかもしれない。
注記
処女膜の形状が千差万別であることは、現在の読者には自明でしょうが、当時は専門的な医学書か密輸入した海外のポルノ雑誌くらいしか情報源はなかったのです。
もちろん異議を申し立てたりはせず、中年男は最初の男と同じように、神妙に御守袋を押し頂き、二千円を供えた。同じ御守を持って異なる出目を買うのであれば、寄進の多いほうに神様は見方してくれるだろう。
考えることは誰も同じで、三番手の若者は三千円を張り込んだ。
こうして、初商いは上首尾に終わった。売上は三千円が十個と一万円が三つ。それに拝観料(?)が六千円。ただし、一万円を張り合って退いた二人はサクラなので、彼らが改めて購入した三千円の二個は差し引いて。合計六万円ちょうど。
サクラと四人の客引きへの手間賃が千円ずつと、童女へのお小遣いが百円ずつ。小遣いといえば十円玉が相場なのだから、日雇いの日当程度を貰う六人よりも喜びは大きい。
端数は御守袋の材料費や巫女衣装や、狛狐の減価償却に充てる。
残る五万三千円は、神社と八田組が四割ずつ。美子の取り分は二割だが、それでも一万円以上。ひとりでお客を物色したときの二倍半にもなった。
もっとも、サクラも客引きも八田組の者だし、童女まで組員の子供なのだから、いちばん儲かるのが興業主なのは、世間にありふれた図式である。
「大仰な道具立ての割にゃあ、時化た稼ぎだな」
勇次はぼやいたが、顔は笑っている。サラリーマンの月給くらいが半日で稼げて乾分にもボーナスをやれたのだから、直系は五十人そこそこの弱小ヤクザのシノギとしては悪くない。なにより、宗教法人が表に立っているから、警察も税務署も怖くなかった。
「毎日二回三回と興業を打ちたいところだが、それじゃ有り難みが薄れるってもんだ。とはいえ、せめて土曜日もやりてえな。開催の間だけでいい、休みは取れないのか」
問われて、美子は即答した。
「はい、だいじょうぶです。有給休暇を取ります」
病気でも身内の不幸でもないのに有給休暇を申請するのには勇気が要るけれど、勇次さんが言うのなら、無断欠勤も厭わない。快感の記憶は美子の裡で一途な恋愛感情へと変化していた。
「よし、いい子だ。たっぷり可愛がってやるぜ」
狛狐を犬へ戻す力仕事も細々とした後始末も、神社と乾分に任せて、勇次は美子を連れ出した。
行き先はありふれた連れ込み宿だったが、壁の一面に張られた鏡のせいで、独身寮の相部屋よりも広く感じられ、布団はずっと豪華だった。
さんざん羞ずかしい部分を見られているとはいえ、勇次と二人きりで一糸まとわぬ素裸になるのは、これが初めてだった。
勇次もパンツひとつになって、一か月前に美子を説得したときよりもずっと長く激しく美子を爪弾き吹き鳴らした。
――一時間以上も演奏されて、幸せな疲労困憊にたゆたっていると、風呂を勧められた。各部屋に内風呂があるのだという。
勇次が勧めてくれることは、なんであれ否やはない。勇次が甲斐甲斐しく風呂の支度をしてくれる間に、少しずつ人心地を取り戻し(たくなかった)、美子はひとりで湯船に浸かった。
こんな仲になったのだから、もしかすると勇次さんも入ってくるかもしれない。期待しながら待っていたのだが、空振りに終わった。
「やはり美子も女だな。長風呂もいいとこだ」
誰のせいだと思ってるんだろうと――でも、初めて名前で呼んでくれたので、機嫌を損ねたりはしなかった。
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この前の章で、ヒロインは『説得』されて、男の言いなりになっています。
説得と言っても、阿佐田哲也式の
「勘ちがいするなよ。ドサ健から何をきいたかしらねえが、俺はお前を優しくは扱わねえぜ。ーー俺のやりかたは、此奴か、さもなきゃ、これだ」
達ははじめに拳固を見せ、それから拳固の中に親指を入れた形をして見せた。
なのですが。拳固の中に親指を入れてしまえば、商品価値が無くなります。
ので、「ハモニカ勇次」の出番です。クリを咥えて「グル゙ル゙ル゙ル゙ル゙……」唇を震わせるという。
これ、自分ではできません。1961年ですから、ピンクローターは存在したものの、純情無垢な乙女が購入できるシロモノではありません。つまり、首ったけになっちゃうわけです。

今回のアイキャッチは、PLOTでは書いていたものの、鉄火場へ心逸る男どもには、まどろっこしいだろうと端折った(ではなく、忘れていて書かなかった)水行で身を清めるシーン……ですかね、これ?
ああ、サブタイトルですが、「おごそか」は普通「厳か」と書きます。それでは他のサブタイトルと文字数が合わなくなるので、余計に送ったわけです。
筆者は基本、「多めに」送ります。標準の表記では二通りに読めて、まったく意味が変わってくる場合があるのです。
私が行った東南アジアにおける売春の実態
「おこなった」のは、調査なのか実践なのか、それはともかく。私が行為者です。
「いった」だと、私は東南アジアへ行きました。(資料によりますと)かの地における売春の実態は――私は傍観者です。
というわけで「行なった」と送るのです。
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