Making of 娘女敵討:4
いよいよ本編執筆開始――は、実は8月18日からですが。
全体で100枚くらいのペースで進行しています。
まあ、考えてみれば。裸の娘を柱に縛りつけて薄皮一枚を斬り刻むという、それがメインディッシュです。一か月ほどの褌一本家事がお口直しで、デザートが婚礼討入。エピソードが少ないのですから当然ですわな。
このシリーズは、WORD直書きからのコピペで御紹介。
[[rb:流尾>ルビ]]で書いて "[[rb:"→"<ruby>"のような作業はしていません。
冒頭の看板の文字も、実際はHG行書体16ptです。
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神崎外流
剣術指南、よみかきそろばん
用心棒、助人、人探、猫探
其他諸々承候
道場主 柴里兵之輔
その娘は看板の前に立ち尽くして、何度も一文字ずつを目で辿っていた。百姓娘らしい粗末な身なり。不相応に大きな葛籠を背負い、三尺近い長さの細い菰包みを胸の前に抱いている。
やがて、踏ん切りがついたのか。大きく息を吸い込むと、古びた板塀に囲まれた門をくぐった。殺風景な庭を進み、破屋(あばらや)とまではいわぬが、どことなく荒涼とした屋敷の玄関口に立った。
速習切望
「御頼み申します。弟子入り志願の者にございます」
若い娘の声に、兵之輔(ひょうのすけ)は小首を傾げた。「お願いします」ならば、月に一度や二度はある「其他諸々」であろうが、わざわざ「弟子入り志願」とは――それも、女人が。当道場の門弟は近在の農民が五人、それだけである。最後の入門者は二年前。
玄関で娘を迎えて、武家の子女だろうとひと目で見て取ったのは流石ではあった。
年の頃は笄を挿し初(そ)めて二年あたりか。番茶ではなく、玉露とまではいかぬにしても煎茶といったところ。その美しく整った顔は陽に焼けておらず、しかし指は家事で幾らか荒れている。
「切紙の腕を持つ男に、せめて一太刀を浴びせられるだけの技を、ひと月の内に御教授願えぬものでしょうか」
逡巡は門前でたっぷりと済ませてきたとでもいうように、座敷で兵之輔と向かい合うなり、娘は単刀直入に突っ込んできた。
「む……」
これほどまでに明確な、そして曖昧な目的を持つとは、この娘は何者であろうか。兵之輔の関心はそこに向かった。
「一太刀とは穏やかでない。たとえ返り討ちに遭わずとも、無事には済まぬぞ」
「元より。敵(かたき)を討って、なおも生き恥を晒すつもりなどございませぬ」
訳が分からなくなった。敵討は武家の誉れ。それを生き恥とは。
兵之輔の困惑を察したのだろう。娘は顔を伏せて、硬い声でつぶやいた。
「私は徒士頭、小森重太夫が娘、美代にございます」
そんな下っ端侍など知らぬ――と、口の端に出かけたところで思い当たった。
「まさか、か……」
カワラケホトサラシなどと口走らぬだけの分別はあった。
破落戸(ごろつき)どもに手篭めにされたばかりか、朱に染まった無毛の女陰も露わに、河原で晒し者にされた娘。夜が明けて最初に美代を見つけたのは、地回りの十手持ちだった。本役の旦那にも検分していただかねばならねえからと、全裸で大岩に縛りつけられた美代をそのまま晒し続けて、集まってきた野次馬を追い払いもしなかった。美代が舌を噛まなかったのが不思議なくらいの追い恥であった。そのあれやこれやを瓦版にまで書かれて、まだ人の噂の七十五日も経ってはいない。
「敵(かたき)とは……破落戸どもをつきとめたということですかな」
咄嗟に取り繕ったまで。破落戸風情が剣術の切紙でもあるまいに。
「敵討です」
美代は顔を上げて、きっぱりと言い切った。
「遺恨だけではありません。小森の家に婿を迎えるなど叶わなくなりました。家を滅ぼした敵を討つのです」
なるほどと、兵之輔は一応の納得はする。傷物にされたばかりか世間に生き恥を晒した娘の婿になろう者など――居るとすれば、百石の扶持に釣られた打算の輩。小森の当主が武士であるなら、そのような男に家督を継がせるわけにはいかぬであろう。
「女の敵を討つのです。いわば女敵討(めがたきうち)です」
「ふうむ」
もちろん。美代の言葉は正しくない。女敵討とは、妻と通じた間男を私怨で討ち果たすことであり、本来の敵討とはまったく別物である。
敵討とは、目上の肉親を殺されての復讐である。遺された者の義務であり名誉でもある。しかし私怨に基づく報復は、逆縁(子の敵、弟妹の敵)を含めて公には許されていない。
美代が本懐を遂げたところで、当人の雪辱はともかく小森家の不名誉は拭われない。いささかでも汚名を雪ぐには、理不尽ながら、操を穢された娘が自害するしかないだろう。
「しかし、破落戸を手ずから成敗なさらずとも。町方に任せておけばよろしいのではありませぬか」
女の恨みの骨髄など分からぬとは思いながら、兵之輔は分別めいた物言いをしてみた。
「私を辱しめた者どもなど、気違い狗のようなものです」
そういった難儀に遭わされた娘に「犬に噛まれたと思って」などと、慰めにもならない言葉を掛ける阿呆も少なくないが、当人が口にするとは――などと苦笑する間もあらばこそ。
「敵(かたき)は、かつての許婚者(いいなずけ)、田上忠則です」
兵之輔は意表を衝かれて、美代の次の言葉を待つしかなかった。
「彼の者が破落戸どもをけしかけ、いやでも人の噂に立つようにしてのけて、それを口実に破談としたのです。そして、何食わぬ……」
美代は言い淀み、なぜか蒼白の顔に羞恥の血色を浮かべた。のは、一瞬。
「ひと月後には、立花家に婿入りします。二百石に鞍替えしたのです」
兵之輔は、田上忠則という男を知らない。これまでの美代の話から推測するに、小さな家の冷や飯食いであろう。何流か知らぬが、切紙程度なら武を買われてではあるまい。よほどに才覚があるのだろう。次男坊、三男坊はたいていの家に居るが、婿養子を取ろうという家は、そうそうありはしない。
「ひと月のうちにとおっしゃいましたな。まさかに、婚礼の場に討入を掛けるおつもりか」
美代の表情に思い詰めた色を見て取っての軽口だったが、返ってきた言葉には絶句するしかなかった。
「その通りです」
兵之輔は、美代の言い分を吟味してみた。
操を奪われたばかりか、その無惨な姿を衆目に晒されたとなれば、破談は当然である。しかし田上忠則が、路傍に転がっている石を拾うように短時日で婿養子の鞍替えを出来たというのは、あまりに不自然ではある。二百石の話がまとまるので百石の話を無理矢理に壊した――そう勘繰って当然ではあろう。勘繰るだけならば。
「田上が裏で糸を引いていたという手証はお有りでしょうね」
「ございます」
「それは、どのような」
今度は羞恥の色どころではなかった。美代の顔が紅潮した。
「それを……申し上げねばなりませぬか」
「他人に害を為そうとして、その技を教えよと言われる。得心できぬ限りは、お断わり致す」
よほどに羞ずかしいことなのであろうが、美代の逡巡は短かった。顎を引き兵之輔の目を見据えて。
「私に乱暴を働いた者どもは、私が娘ではないことも、かわらけであることも、知っておりました」
「…………」
手証とは、誰もが手に取って確かめられる確かな証拠という意味である。破落戸どもが知っていたという美代の言葉は、不確かな証拠ですらない。それを知っていたというのが事実としても、それが田上と、どう結びつくのか。
「かわらけのことを知っているのは、父母の他には一人しかおりませぬ。もうひとつについては、その一人のみです」
謎解きか――兵之輔はしかし、女の深い羞じらいの中に、およその答を察したのだった。田上某は、「いずれは夫婦になるのだから」などと言い含めて、すでに美代を抱いていたのだろう。ならば、彼女がかわらけであると知っているのも当然。
とはいえ、推察で進めて良い話ではない。兵之輔は、そのように己れを言いくるめて、残酷な質問を放った。
「破落戸どもが知っていたというのは、彼奴らが明言したのでしょうな。うろ覚えでもよろしい。どのように話していたか、それをお聞かせ願いたい」
「ダンナノイッテタトオリダゼ。アナガトオッテヤガル。最初の男が、確かにそう言いました」
美代の顔から羞恥が消えて、氷のように冷たい怒気に覆われていた。
「ウマレツイテノカワラケダッテンダカラナ。ミセニデリャア、サゾウレッコニナルダロウゼ。そうも言いました」
これは――兵之輔は瞠目した。修羅場のさ中に、これほどまではっきりと加害者の言葉を覚えているとは。十五のときに逢引中を与太者に絡まれ、相手が匕首を抜いたので、その手首を斬り落とした――などというのは数えずに、二十八の今日(こんにち)までに、兵之輔は死地を三度経験して四人を斬っている。そのうち二人は、必殺の斬撃を放つしかない強敵であった。彼らがどのように動き己れがどのように対処したかは、すべて克明に覚えている。しかし、戦いの最中に発した言葉など、己れのも相手のも、およその内容すら怪しい。
この一事をもってしても美代には天稟があると、兵之輔は断じた。日常の場においてはまったく不要な天稟が。
「如何にも、敵が切紙であろうと目録であろうと、一太刀を浴びせる技くらいは伝授して差し上げること、不可能ではない」
兵之輔が熟考の末に放った言葉に、美代は顔を引き締めた。眉に唾を付けたというほうが当たっているかもしれない。
おそらく。城下にある道場の門を敲いて回って、門前払いを食わされた挙げ句に、御城から一里も離れた横河村にぽつんと佇む、剣術道場だか万屋だか分からないここまで流れてきた。大方はそういうことだろうと、兵之輔は見当を付けている。安請合いをされて、疑心が先立ったとしても無理はない。
兵之輔には、十分な成算があった。と同時に十二分でも足りない邪心もあった。
「改めて尋ねるが、武技の心得はあるかな」
訪なった女人にではなく、師が弟子に対する言葉遣いに、すでになっている。
「貫魂流の懐剣術を幾らかは。一両切紙には勝てると自惚れています」
美代が習っていた流派では、型さえ覚えれば一両の免許料で切紙を頂戴できる。御嬢様切紙とも嫁入切紙とも揶揄されている。腕にいささかの覚えはあるが、家計を逼迫させてまで紙切など不要――寡黙にして雄弁な娘ではあった。
「まずは腕前を見極める。道場へ来られよ」
立って、さっさと道場へ向かう兵之輔。美代は葛籠を胸に抱き、その上に細長い菰包みを載せて兵之輔を追う。
兵之輔は一段高くなった見所(けんぞ)に座して、目の前に正座した娘にとんでもない言葉を放った。
「着物を脱いで素裸になりなさい」
「え……」
言葉の意味までは解しても、それが己れとどう関わってくるのかが分かりかねている、ぽかんとした表情。
「身体全体の動きや筋肉の使い方を見るためです」
直に見なくても衣服の上からでも、末端の動きを見れば根本も粗方は分かる。それを敢えて脱がそうとするのは、九分までは邪心、さらに言うなら嗜虐であった。そして残りの一分は、『肌風』であった。
素肌に太刀風を三寸どころか尺余に感じて、一寸ではなく皮一枚で見切るという、肌の鋭敏な女人にしか為し得ないという秘剣。父が興した神埼外流の祖となった神埼古流で、すでに父の若き頃には術者も絶えて伝説となっていた。
そのような秘術を、御嬢様切紙ちょぼちょぼの娘が短時日で体得できるはずもない。兵之輔の成算は別辺にある。ただ、幾らかは心の疚しさを誤魔化せた。
これまでは決心の早さに兵之輔を瞠目させていた美代が、心の臓が百を拍つほどにも逡巡した。困惑から羞恥、羞恥から遺恨、そして決意へと――それは兵之輔の推測であって、うつむけた表情は能面のように硬く静かだった。
やがて、美代が立ち上がった。
「お目を汚します」
硬い表情で帯を解き、対丈の着物を脱げば、下は膝丈の赤い腰巻のみ。襦袢などは身に着けていなかった。本気で水呑百姓の娘に扮していたのである。
その一事をもってしても、美代の決意は本物であると、兵之輔は感じ入った――以上に、嗜色心を刺激された。
現代の読者に理解しやすくたとえるなら。清楚な御嬢様学校に通っている彼女が、セーラー服の下にインナーを着けていないと知ったときの興奮――では、作者のレトロ感覚を暴露するだけであろうか。
「この姿で型を御覧に入れれば、よろしいのですか」
「うむ……」
みずから仕掛けた悪戯に怯みながらも、なんとか道場主の威厳を取り繕う兵之輔。
美代は携えてきた葛籠から懐剣を取り出して左手に持ち、兵之輔の前に右半身(はんみ)を曝して立った。
「鋭ッ」
可憐な気合声と共に懐剣を逆手に抜いて、迫りくる刃を受け流す型を演じた。順手に持ち替えて正眼に構える。袈裟懸けに斬ってくる見えない刃を受け、上段からの斬撃を防ぐ。
それなりに洗練された動きではあったが、実戦なら最初の一撃で懐剣は弾き飛ばされ、そのまま斬られていたか、押し倒されて若い娘に相応しい扱いをされていたか。
兵之輔はわずかに顔をしかめ、それから鼻翼を広げて太い息を吐いた。剣術の心得がある男に対して一太刀を浴びせられるところまで仕込む前途遼遠を憂い、しかし、未熟を口実に非常の手段を講じる愉悦を思ってのことだった。
「衣服を改めさせていただきます」
型を演じ終えると、当然だが美代は肌を隠す。
もったいないと思いながら、とりあえずは止める口実も無い。
「そこの菰包みは大刀と見受けるが」
再び向かい合って座して、答を知りながらも兵之輔が尋ねる。
「はい。懐剣では切っ先が届かぬと思います」
「うむ。理に敵った考えである」
重々しく頷いたが腹の底では――理詰めで納得させればかなりのことまで受け容れるだろうとほくそ笑んでいる兵之輔だった。
「では、ひと月限りの入門を認める」
ひと月で業を修めたいと願うのだから、それを叶えてやるという意味であり、同時に、それ以降に何をしようと当道場は与り知らぬという逃げでもあった。二百石の跡取りに大怪我を負わせたとばっちりなど真っ平御免だ。
などという思惑を知ってか知らずか、美代は畳に両手を突いて深々と頭を下げた。
「さて……仮初にも入門となると、束脩であるが」
兵之輔がもったいをつけて言葉を切った隙に、美代が葛籠から切餅を取り出した。一分銀百枚。小判にして二十五両である。
束脩が酒や白扇であったのは百年以上も昔の話だが。地獄の沙汰も金次第の世であるとはいえ、束脩に加えて盆暮の付け届け十年分でも釣りがくる。
「これは多すぎる」
兵之輔としては、内弟子の形にして束脩無用の代わりに家事一切を任せ、成り行きによっては夜這いなどと目論んでいたのだから、へどもどしてしまった。
「是非とも、お納めください。これは、田上の家から投げられた金子です。これで我が家を潤すなど、我が身を女郎に売るよりも浅ましいことです」
手切れ金ということだろう。
身売りも親孝行のひとつではあろうし、草をかじらず白米が食えるのだが――貧乏とはいえ武家の娘にそこまで考えよと求めるのも無理だろう。兵之輔は、黙って金子を受け取って――神棚に奉じたのは、すぐにも稽古をつけてやる所存だったので、邪魔になるからだった。
とはいえ、その前に。
「わずかひと月で、それなりに大刀を扱えるようになり、かつ、剣術の心得がある男に一太刀を浴びせられる技前と気構えを練る。非常極まりない修行になるぞ。婿を取れず嫁にも行けぬ身体になる。それは覚悟していただく」
兵之輔の言葉を受け止めて。それまでは硬い決意を覆っていた能面に、嘲りの色が滲んだ。
「元より穢された身なれば、それが束脩の足しになると思し召しでしたら、如何様にも」
やはり、そのように受け取るかと、それは予期してのこと。その覚悟に肩透かしを食わせ、まったく別の方角から嬲る。それも嗜虐のあり方だ。
などと、その道の通ぶってみたところで。実際に女を(ただ抱くのではなく)堪振り嬲ったことなど、五指もあれば足りる。百姓弟子からの付け届けで食うに困りはしないが、用心棒といえば隠居連が維尽島詣する折の世話役だったり、猫探しなど瓦版の隅に書いてもらえば足が出る。傷が治るまでの花代に色を付けて蹴転(けころ)女郎を折檻するだけの金も工面できない。近在の素人娘に手を出したりすれば、おんぼろ道場など文字通りに潰されてしまう。
もっとも、それだけに。いろいろとこじらせているのではあるが。
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筆者はヒロイン視点でばかり書いています。このとき、サディスト役の男はCo-staringであっても、デウス・エキス・サクシャです。そして、緊縛も鞭打ちも手慣れたもの。ヒロインの精神が追い込まれていく様も掌の上。
しかし、今回は。サディストながら経験はごくわずか。最底辺の娼婦を餌食にしようにも、傷が癒えるまでの生活保障をしてやらねばならず、農民門弟5人しかおらず、老人会の慰安旅行のツアコンとか子供から持ち込まれる猫探しで生計を立てているとなれば、その金もままならない。
いえ。けっして作者のアレコレを投影してるのではありません。わざわざ改行して書くなよ。
これに似た男主人公は『初心妻志願奴隷』くらいですか。でも、こやつは金だけはあったっけ。
ともかくも。異色の短編になりそうです。R18シーンも少ない。コミカライズすれば、じゅうぶん全年齢でいけますな。
全体で100枚くらいのペースで進行しています。
まあ、考えてみれば。裸の娘を柱に縛りつけて薄皮一枚を斬り刻むという、それがメインディッシュです。一か月ほどの褌一本家事がお口直しで、デザートが婚礼討入。エピソードが少ないのですから当然ですわな。
このシリーズは、WORD直書きからのコピペで御紹介。
[[rb:流尾>ルビ]]で書いて "[[rb:"→"<ruby>"のような作業はしていません。
冒頭の看板の文字も、実際はHG行書体16ptです。
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神崎外流
剣術指南、よみかきそろばん
用心棒、助人、人探、猫探
其他諸々承候
道場主 柴里兵之輔
その娘は看板の前に立ち尽くして、何度も一文字ずつを目で辿っていた。百姓娘らしい粗末な身なり。不相応に大きな葛籠を背負い、三尺近い長さの細い菰包みを胸の前に抱いている。
やがて、踏ん切りがついたのか。大きく息を吸い込むと、古びた板塀に囲まれた門をくぐった。殺風景な庭を進み、破屋(あばらや)とまではいわぬが、どことなく荒涼とした屋敷の玄関口に立った。
速習切望
「御頼み申します。弟子入り志願の者にございます」
若い娘の声に、兵之輔(ひょうのすけ)は小首を傾げた。「お願いします」ならば、月に一度や二度はある「其他諸々」であろうが、わざわざ「弟子入り志願」とは――それも、女人が。当道場の門弟は近在の農民が五人、それだけである。最後の入門者は二年前。
玄関で娘を迎えて、武家の子女だろうとひと目で見て取ったのは流石ではあった。
年の頃は笄を挿し初(そ)めて二年あたりか。番茶ではなく、玉露とまではいかぬにしても煎茶といったところ。その美しく整った顔は陽に焼けておらず、しかし指は家事で幾らか荒れている。
「切紙の腕を持つ男に、せめて一太刀を浴びせられるだけの技を、ひと月の内に御教授願えぬものでしょうか」
逡巡は門前でたっぷりと済ませてきたとでもいうように、座敷で兵之輔と向かい合うなり、娘は単刀直入に突っ込んできた。
「む……」
これほどまでに明確な、そして曖昧な目的を持つとは、この娘は何者であろうか。兵之輔の関心はそこに向かった。
「一太刀とは穏やかでない。たとえ返り討ちに遭わずとも、無事には済まぬぞ」
「元より。敵(かたき)を討って、なおも生き恥を晒すつもりなどございませぬ」
訳が分からなくなった。敵討は武家の誉れ。それを生き恥とは。
兵之輔の困惑を察したのだろう。娘は顔を伏せて、硬い声でつぶやいた。
「私は徒士頭、小森重太夫が娘、美代にございます」
そんな下っ端侍など知らぬ――と、口の端に出かけたところで思い当たった。
「まさか、か……」
カワラケホトサラシなどと口走らぬだけの分別はあった。
破落戸(ごろつき)どもに手篭めにされたばかりか、朱に染まった無毛の女陰も露わに、河原で晒し者にされた娘。夜が明けて最初に美代を見つけたのは、地回りの十手持ちだった。本役の旦那にも検分していただかねばならねえからと、全裸で大岩に縛りつけられた美代をそのまま晒し続けて、集まってきた野次馬を追い払いもしなかった。美代が舌を噛まなかったのが不思議なくらいの追い恥であった。そのあれやこれやを瓦版にまで書かれて、まだ人の噂の七十五日も経ってはいない。
「敵(かたき)とは……破落戸どもをつきとめたということですかな」
咄嗟に取り繕ったまで。破落戸風情が剣術の切紙でもあるまいに。
「敵討です」
美代は顔を上げて、きっぱりと言い切った。
「遺恨だけではありません。小森の家に婿を迎えるなど叶わなくなりました。家を滅ぼした敵を討つのです」
なるほどと、兵之輔は一応の納得はする。傷物にされたばかりか世間に生き恥を晒した娘の婿になろう者など――居るとすれば、百石の扶持に釣られた打算の輩。小森の当主が武士であるなら、そのような男に家督を継がせるわけにはいかぬであろう。
「女の敵を討つのです。いわば女敵討(めがたきうち)です」
「ふうむ」
もちろん。美代の言葉は正しくない。女敵討とは、妻と通じた間男を私怨で討ち果たすことであり、本来の敵討とはまったく別物である。
敵討とは、目上の肉親を殺されての復讐である。遺された者の義務であり名誉でもある。しかし私怨に基づく報復は、逆縁(子の敵、弟妹の敵)を含めて公には許されていない。
美代が本懐を遂げたところで、当人の雪辱はともかく小森家の不名誉は拭われない。いささかでも汚名を雪ぐには、理不尽ながら、操を穢された娘が自害するしかないだろう。
「しかし、破落戸を手ずから成敗なさらずとも。町方に任せておけばよろしいのではありませぬか」
女の恨みの骨髄など分からぬとは思いながら、兵之輔は分別めいた物言いをしてみた。
「私を辱しめた者どもなど、気違い狗のようなものです」
そういった難儀に遭わされた娘に「犬に噛まれたと思って」などと、慰めにもならない言葉を掛ける阿呆も少なくないが、当人が口にするとは――などと苦笑する間もあらばこそ。
「敵(かたき)は、かつての許婚者(いいなずけ)、田上忠則です」
兵之輔は意表を衝かれて、美代の次の言葉を待つしかなかった。
「彼の者が破落戸どもをけしかけ、いやでも人の噂に立つようにしてのけて、それを口実に破談としたのです。そして、何食わぬ……」
美代は言い淀み、なぜか蒼白の顔に羞恥の血色を浮かべた。のは、一瞬。
「ひと月後には、立花家に婿入りします。二百石に鞍替えしたのです」
兵之輔は、田上忠則という男を知らない。これまでの美代の話から推測するに、小さな家の冷や飯食いであろう。何流か知らぬが、切紙程度なら武を買われてではあるまい。よほどに才覚があるのだろう。次男坊、三男坊はたいていの家に居るが、婿養子を取ろうという家は、そうそうありはしない。
「ひと月のうちにとおっしゃいましたな。まさかに、婚礼の場に討入を掛けるおつもりか」
美代の表情に思い詰めた色を見て取っての軽口だったが、返ってきた言葉には絶句するしかなかった。
「その通りです」
兵之輔は、美代の言い分を吟味してみた。
操を奪われたばかりか、その無惨な姿を衆目に晒されたとなれば、破談は当然である。しかし田上忠則が、路傍に転がっている石を拾うように短時日で婿養子の鞍替えを出来たというのは、あまりに不自然ではある。二百石の話がまとまるので百石の話を無理矢理に壊した――そう勘繰って当然ではあろう。勘繰るだけならば。
「田上が裏で糸を引いていたという手証はお有りでしょうね」
「ございます」
「それは、どのような」
今度は羞恥の色どころではなかった。美代の顔が紅潮した。
「それを……申し上げねばなりませぬか」
「他人に害を為そうとして、その技を教えよと言われる。得心できぬ限りは、お断わり致す」
よほどに羞ずかしいことなのであろうが、美代の逡巡は短かった。顎を引き兵之輔の目を見据えて。
「私に乱暴を働いた者どもは、私が娘ではないことも、かわらけであることも、知っておりました」
「…………」
手証とは、誰もが手に取って確かめられる確かな証拠という意味である。破落戸どもが知っていたという美代の言葉は、不確かな証拠ですらない。それを知っていたというのが事実としても、それが田上と、どう結びつくのか。
「かわらけのことを知っているのは、父母の他には一人しかおりませぬ。もうひとつについては、その一人のみです」
謎解きか――兵之輔はしかし、女の深い羞じらいの中に、およその答を察したのだった。田上某は、「いずれは夫婦になるのだから」などと言い含めて、すでに美代を抱いていたのだろう。ならば、彼女がかわらけであると知っているのも当然。
とはいえ、推察で進めて良い話ではない。兵之輔は、そのように己れを言いくるめて、残酷な質問を放った。
「破落戸どもが知っていたというのは、彼奴らが明言したのでしょうな。うろ覚えでもよろしい。どのように話していたか、それをお聞かせ願いたい」
「ダンナノイッテタトオリダゼ。アナガトオッテヤガル。最初の男が、確かにそう言いました」
美代の顔から羞恥が消えて、氷のように冷たい怒気に覆われていた。
「ウマレツイテノカワラケダッテンダカラナ。ミセニデリャア、サゾウレッコニナルダロウゼ。そうも言いました」
これは――兵之輔は瞠目した。修羅場のさ中に、これほどまではっきりと加害者の言葉を覚えているとは。十五のときに逢引中を与太者に絡まれ、相手が匕首を抜いたので、その手首を斬り落とした――などというのは数えずに、二十八の今日(こんにち)までに、兵之輔は死地を三度経験して四人を斬っている。そのうち二人は、必殺の斬撃を放つしかない強敵であった。彼らがどのように動き己れがどのように対処したかは、すべて克明に覚えている。しかし、戦いの最中に発した言葉など、己れのも相手のも、およその内容すら怪しい。
この一事をもってしても美代には天稟があると、兵之輔は断じた。日常の場においてはまったく不要な天稟が。
「如何にも、敵が切紙であろうと目録であろうと、一太刀を浴びせる技くらいは伝授して差し上げること、不可能ではない」
兵之輔が熟考の末に放った言葉に、美代は顔を引き締めた。眉に唾を付けたというほうが当たっているかもしれない。
おそらく。城下にある道場の門を敲いて回って、門前払いを食わされた挙げ句に、御城から一里も離れた横河村にぽつんと佇む、剣術道場だか万屋だか分からないここまで流れてきた。大方はそういうことだろうと、兵之輔は見当を付けている。安請合いをされて、疑心が先立ったとしても無理はない。
兵之輔には、十分な成算があった。と同時に十二分でも足りない邪心もあった。
「改めて尋ねるが、武技の心得はあるかな」
訪なった女人にではなく、師が弟子に対する言葉遣いに、すでになっている。
「貫魂流の懐剣術を幾らかは。一両切紙には勝てると自惚れています」
美代が習っていた流派では、型さえ覚えれば一両の免許料で切紙を頂戴できる。御嬢様切紙とも嫁入切紙とも揶揄されている。腕にいささかの覚えはあるが、家計を逼迫させてまで紙切など不要――寡黙にして雄弁な娘ではあった。
「まずは腕前を見極める。道場へ来られよ」
立って、さっさと道場へ向かう兵之輔。美代は葛籠を胸に抱き、その上に細長い菰包みを載せて兵之輔を追う。
兵之輔は一段高くなった見所(けんぞ)に座して、目の前に正座した娘にとんでもない言葉を放った。
「着物を脱いで素裸になりなさい」
「え……」
言葉の意味までは解しても、それが己れとどう関わってくるのかが分かりかねている、ぽかんとした表情。
「身体全体の動きや筋肉の使い方を見るためです」
直に見なくても衣服の上からでも、末端の動きを見れば根本も粗方は分かる。それを敢えて脱がそうとするのは、九分までは邪心、さらに言うなら嗜虐であった。そして残りの一分は、『肌風』であった。
素肌に太刀風を三寸どころか尺余に感じて、一寸ではなく皮一枚で見切るという、肌の鋭敏な女人にしか為し得ないという秘剣。父が興した神埼外流の祖となった神埼古流で、すでに父の若き頃には術者も絶えて伝説となっていた。
そのような秘術を、御嬢様切紙ちょぼちょぼの娘が短時日で体得できるはずもない。兵之輔の成算は別辺にある。ただ、幾らかは心の疚しさを誤魔化せた。
これまでは決心の早さに兵之輔を瞠目させていた美代が、心の臓が百を拍つほどにも逡巡した。困惑から羞恥、羞恥から遺恨、そして決意へと――それは兵之輔の推測であって、うつむけた表情は能面のように硬く静かだった。
やがて、美代が立ち上がった。
「お目を汚します」
硬い表情で帯を解き、対丈の着物を脱げば、下は膝丈の赤い腰巻のみ。襦袢などは身に着けていなかった。本気で水呑百姓の娘に扮していたのである。
その一事をもってしても、美代の決意は本物であると、兵之輔は感じ入った――以上に、嗜色心を刺激された。
現代の読者に理解しやすくたとえるなら。清楚な御嬢様学校に通っている彼女が、セーラー服の下にインナーを着けていないと知ったときの興奮――では、作者のレトロ感覚を暴露するだけであろうか。
「この姿で型を御覧に入れれば、よろしいのですか」
「うむ……」
みずから仕掛けた悪戯に怯みながらも、なんとか道場主の威厳を取り繕う兵之輔。
美代は携えてきた葛籠から懐剣を取り出して左手に持ち、兵之輔の前に右半身(はんみ)を曝して立った。
「鋭ッ」
可憐な気合声と共に懐剣を逆手に抜いて、迫りくる刃を受け流す型を演じた。順手に持ち替えて正眼に構える。袈裟懸けに斬ってくる見えない刃を受け、上段からの斬撃を防ぐ。
それなりに洗練された動きではあったが、実戦なら最初の一撃で懐剣は弾き飛ばされ、そのまま斬られていたか、押し倒されて若い娘に相応しい扱いをされていたか。
兵之輔はわずかに顔をしかめ、それから鼻翼を広げて太い息を吐いた。剣術の心得がある男に対して一太刀を浴びせられるところまで仕込む前途遼遠を憂い、しかし、未熟を口実に非常の手段を講じる愉悦を思ってのことだった。
「衣服を改めさせていただきます」
型を演じ終えると、当然だが美代は肌を隠す。
もったいないと思いながら、とりあえずは止める口実も無い。
「そこの菰包みは大刀と見受けるが」
再び向かい合って座して、答を知りながらも兵之輔が尋ねる。
「はい。懐剣では切っ先が届かぬと思います」
「うむ。理に敵った考えである」
重々しく頷いたが腹の底では――理詰めで納得させればかなりのことまで受け容れるだろうとほくそ笑んでいる兵之輔だった。
「では、ひと月限りの入門を認める」
ひと月で業を修めたいと願うのだから、それを叶えてやるという意味であり、同時に、それ以降に何をしようと当道場は与り知らぬという逃げでもあった。二百石の跡取りに大怪我を負わせたとばっちりなど真っ平御免だ。
などという思惑を知ってか知らずか、美代は畳に両手を突いて深々と頭を下げた。
「さて……仮初にも入門となると、束脩であるが」
兵之輔がもったいをつけて言葉を切った隙に、美代が葛籠から切餅を取り出した。一分銀百枚。小判にして二十五両である。
束脩が酒や白扇であったのは百年以上も昔の話だが。地獄の沙汰も金次第の世であるとはいえ、束脩に加えて盆暮の付け届け十年分でも釣りがくる。
「これは多すぎる」
兵之輔としては、内弟子の形にして束脩無用の代わりに家事一切を任せ、成り行きによっては夜這いなどと目論んでいたのだから、へどもどしてしまった。
「是非とも、お納めください。これは、田上の家から投げられた金子です。これで我が家を潤すなど、我が身を女郎に売るよりも浅ましいことです」
手切れ金ということだろう。
身売りも親孝行のひとつではあろうし、草をかじらず白米が食えるのだが――貧乏とはいえ武家の娘にそこまで考えよと求めるのも無理だろう。兵之輔は、黙って金子を受け取って――神棚に奉じたのは、すぐにも稽古をつけてやる所存だったので、邪魔になるからだった。
とはいえ、その前に。
「わずかひと月で、それなりに大刀を扱えるようになり、かつ、剣術の心得がある男に一太刀を浴びせられる技前と気構えを練る。非常極まりない修行になるぞ。婿を取れず嫁にも行けぬ身体になる。それは覚悟していただく」
兵之輔の言葉を受け止めて。それまでは硬い決意を覆っていた能面に、嘲りの色が滲んだ。
「元より穢された身なれば、それが束脩の足しになると思し召しでしたら、如何様にも」
やはり、そのように受け取るかと、それは予期してのこと。その覚悟に肩透かしを食わせ、まったく別の方角から嬲る。それも嗜虐のあり方だ。
などと、その道の通ぶってみたところで。実際に女を(ただ抱くのではなく)堪振り嬲ったことなど、五指もあれば足りる。百姓弟子からの付け届けで食うに困りはしないが、用心棒といえば隠居連が維尽島詣する折の世話役だったり、猫探しなど瓦版の隅に書いてもらえば足が出る。傷が治るまでの花代に色を付けて蹴転(けころ)女郎を折檻するだけの金も工面できない。近在の素人娘に手を出したりすれば、おんぼろ道場など文字通りに潰されてしまう。
もっとも、それだけに。いろいろとこじらせているのではあるが。
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筆者はヒロイン視点でばかり書いています。このとき、サディスト役の男はCo-staringであっても、デウス・エキス・サクシャです。そして、緊縛も鞭打ちも手慣れたもの。ヒロインの精神が追い込まれていく様も掌の上。
しかし、今回は。サディストながら経験はごくわずか。最底辺の娼婦を餌食にしようにも、傷が癒えるまでの生活保障をしてやらねばならず、農民門弟5人しかおらず、老人会の慰安旅行のツアコンとか子供から持ち込まれる猫探しで生計を立てているとなれば、その金もままならない。
いえ。けっして作者のアレコレを投影してるのではありません。わざわざ改行して書くなよ。
これに似た男主人公は『初心妻志願奴隷』くらいですか。でも、こやつは金だけはあったっけ。
ともかくも。異色の短編になりそうです。R18シーンも少ない。コミカライズすれば、じゅうぶん全年齢でいけますな。
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