Progress Report 8:公女巡虐

 最終章……の筈でしたが。ここら辺はPLOTをきっちり立てずに、書きながら固めていく予定でした。そしたら双胴船(カタマラン)になっちまいました。ていうか、思いつくまま、あれもこれも闇鍋にしちゃいまして。1万5千文字を超えても終わらない。ので、オーラスの連チャン。2本場までもってくことにしました。

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淫虐の修道院

 聖エウフェミア女子修道院は、ものものしい煉瓦の壁に囲まれていました。壁の端から端までは百歩を超えています。聞くところによりますと、三十人ちかい人たちが、ほぼ自給自足の生活を営んでいるとのこと。中には畑や家畜小屋もあるのですから、これくらいの広さは当然でしょう。
 馬車は正門の前に止まりました。お継母様が前の馬車から降り立ち、私も護衛の騎士に促されて、鎖に足を取られないよう身体を横にして馬車を降りました。
 固く閉ざされている正門が、歴史の重みを感じさせる軋みとともに細く開かれました。お継母様が案内も待たずに歩み入るので、私も続きます。聖職者以外は男子禁制ですから、護衛の人たちはその場にとどまっています。入ると同時に、また門が閉ざされました。
「え……?」
 門を開閉している人を見て、驚きました。男性です。動きやすい服装をして腰に短剣を帯びていますから、兵士でしょうか。塀に囲まれていても女性だけでは物騒ですから、警備の兵士が少数居てもそんなに不思議ではありませんけれど、ちょっと意外でした。
 正面の建物から姿を現わした二人も男性です。二人とも、聖職者が身にまとう黒い長衣ですから、こちらはちっとも不思議ではありません。女性は聖職者になれませんし、ミサには聖職者が欠かせないのですから。お二方は、胸に提げている十字架の大きさが違います。
 お継母様が、大きな十字架の人の前に跪きました。
「お久しぶりでございます、オスティ院長様。そして、アルフィオ司祭様」
 お継母様は、お父様の後妻となる前は、この修道院に入っていられたのです。もう十五年以上の昔です。オスティ院長様は五十を過ぎてらっしゃるようですから分かりますが、アルフィオ司祭様は三十そこそこ……ああ、そうでした。つい先年も、お継母様は訪れてらっしゃいました。でしたら「お久しぶり」ですね。
「おいでなさい、エレナ」
 お継母様が、私をお二方に紹介してくださいました。
 私もお継母様を真似て跪き、胸に十字を切りました。
「私のような者を、由緒ある修道院に迎えてくださって、感謝しております」
 嬉しくない好意に感謝なんかしたくありませんけれど、ラメーズ伯爵令嬢としては、こう振る舞うしかありません。
 オスティア院長様は鷹揚に頷かれると、無言で踵を返しました。
「ついて来なさい」
 アルフィオ司祭様がそっけなくおっしゃいます。
 私はお継母様の後ろに従って、正面の建物に入りました。層煉瓦造りの二階建てです。真っ直ぐな廊下の奥にある部屋へ招じ入れられて、そこは院長様の執務室のようです。
「ファジャーノからの手紙によれば、おまえにはくだくだしい説明は不要だそうだな」
 院長様の言葉遣いは、これが聖職者かと疑うほど横柄です。
「見れば信じるという格言があったな」
 院長様が、執務机の上に垂れている長い房を引っ張りました。チリンチリンと鐘の音がして。すぐに三人の女性が入って来ました。
「まあっ……?!」
 三人の姿を見て、私は驚愕を叫んでいまいました。
 三人のうち二人は、修道女が衣服の上に着用する肩衣を――素肌にまとっています。長い布に首を出す穴を明けて襟を着けた、衣服というよりは縦の帯です。この人たちの肩衣は極端に幅が狭くて、乳房の間にたくれています。膝丈ですから女性器は隠れていますが、太腿は剥き出しなので、どんなにお淑やかに歩いても見えてしまうでしょう。
 そして、もう一人は……全裸です! 後ろ手に縛られています! 猿轡まで噛まされています! 全身に鞭の跡が刻まれています!
 肩衣の二人はわずかに頭を下げて、けぶるような眼差しを机のあたりにさまよわせています。全裸で縛られている――私と同い年くらいの娘は、はっきりと頭を垂れて、睫毛が涙に濡れています。
「紹介しておこう。マイアーレとガリーナだ」
 肩衣の二人が、軽く頷きました。
 ほんとうに二人の名前なのでしょうか。豚(マイアーレ)と雌鶏(ガリーナ)だなんて。そう言えば、先ほどは雉(ファジャーノ)がどうとか。
「これはフランカ。まだ見習で肩衣は許されておらん。俗名のままだ。被虐の愉悦を覚えるべく、日々、苦行に励んでおるところだ。今は無言の行の最中だ」
 猿轡のことを言っているのでしょう。
「未だ信仰が足りぬゆえ、つねに神への祈りを捧げられるようにしてある。フランカ、後ろを向け」
 私と同い年くらいの娘は、顔を伏せたまま後ろ向きになりました。
「…………?!」
 見たこともない拘束の仕方です。腕は真上へ捩じ上げられて、掌を合わせる形にされ、向かい合う指を紐でくくられています。これが、つまり神様への祈りということでしょうか。肩が水平よりもせり上がって、見た目に痛々しいです。
「院長様。私もファジャーノの形に改めさせてください」
「そう言うと思って、用意してあるぞ」
 私は、さらにひとつ、有りうべからざる光景を目の前にしました。お継母様が、殿方の前で衣服を脱ぎ始めたのです。それも、下着も腰布も脱ぎ捨てて……全裸になったのです。
 四人目の女性が、平たい箱を持って来ました。この人も、全裸に肩衣です。箱を机に置くときに私の前に立ったのですが……肩衣の後ろ側は腰までしかありません。お尻が丸出しです。そして、そこには数日前のものと思われる無数の鞭痕が浮かんでいます。
 そんなありふれた(?)光景に驚いている場合ではありません。
 お継母様が、箱から肩衣を出して身に着けたのです。それは他の修道女(?)たちと同じ色ですが、後ろ側はもちろん、前側もおへそまでしか丈がありません。下半身は丸出しです。それだけでも、淑女なら身に着けるのはもちろん見ただけで卒倒するでしょう。ところが、お継母様は平然と――なぜか「嫣然と」という表現が頭に浮かびました。箱から十字架を取り出して、首から下げたのです。身に着けるには、極端に大きな十字架です。横木の両端の装飾には小さな穴が明いていて――そこに乳首を嵌めたのです。金色の小さな留め金具で十字架の上から乳首を締め付けて、抜けなくしました。そして、十字架の下端にある同じような穴に、女の芽を嵌め込んだのです。
「おまえは、すでに人の妻。貞操を守る装身具も誂えておいたぞ」
「ありがとうございます、院長様」
 お継母様が取り上げたのは、“V”字形をした銀の……何と呼べば良いのでしょうか。とにかく、“V”字形の交点には男根が屹立しています。お継母様はがに股になって、それを女の穴へ挿入しました。そして、手を放すと――“V”字形は勝手に(ではなく、お継母様が筋肉を引き締めたのでしょう)内側へ動いて、浅く湾曲した装身具は、ぴったりと股間に張り付きました。
「エレナ。母が正装しているというのに、その姿はなんとしたことです。神様の御前(みまえ)に一切を曝け出しなさい」
 言葉の意味は分かりますし、殿方の前で裸を曝すくらい慣れっこです。でも、出鱈目な言葉に従いたくはありません。
「無闇に肌を曝すことを、神様は禁じておいでです。まして、ここは修道院の中……?」
 語尾が立ち消えたのは、こんな修道院があるはずも無いからです。
「神がご自身に似せて人を創られたとき、人は衣を着ておらなかった」
 院長様が、たしなめるように言いました。
「人が身を包むようになったのは、神の教えに背いて禁断の果実を食べたからだ。いわば、衣服は原罪の象徴。疾く罪を脱ぎ捨てよ」
 もっともらしく聞こえます。私には反駁できません。でも、詭弁だと思います。
「そうか。おまえは脱ぐよりも脱がされるのが好みなのだな」
 どきりとしました。そんなふうに言われたのは初めてですが、私の本性を暴く言葉です。お会いして、まだ半時間と経っていないのに、ほとんど言葉を交わしていないのに。院長様は手紙がどうとかおっしゃってましたが、仮にお継母様が密偵を使って私の行状の逐一を調べたとしても、私の心の裡までは分からないはずです。
 瞬時の物思いに囚われている間に、私は左右から腕を摑まれていました。院長様が、抜き身の短剣を手に、息が吹き掛かるほど間近に迫ります。
 左手で私の衣服を摑んで……
 ぴいいいいっ。上から下まで一気に切り裂きました。上着の下はお継母様と違って腰布一枚です。それと、足を束縛する鉄環と鎖。
「ふむ。ファジャーノは、年下相手だと祝福を与える側か」
「この娘は、私の娘よりも素質がある――いえ、生まれながらに悦虐の性(さが)を備えておりますもの」
「だから、生さぬ仲の娘に実の娘とは異なる愛情を注いでおるわけだ」
「ベルタには素質がありません。出来れば実の娘にこそ、残虐に愛でられる悦びを知ってほしかった――これは本心ですのよ」
 遠回しな言い方をしていますけれど。お継母様も、虐められる悦びを知っておいでのようです。縛られている娘のように、無理強いに教え込まれたのかもしれません。でも、たしかに……『素質』がなければ目覚めることもないでしょう。
「女であれば、誰しも素質を秘めておる。しかし――この娘のようにみずから目覚めるとは、稀有のことかな」
 長話の間、私は両腕を掴まれて腰布一枚の裸で立ち尽くしているしかありまでんでした。
 その最後の一枚も剥ぎ取られました。
 無毛の股間に刻まれた焼印を見ても、院長様には驚いた様子もありません。
「類稀なる素質を持ち、ラメーズ伯爵夫人の推薦があっても、特別扱いは出来ぬ。入院の誓願を立てておらぬ娘として扱う」
 ただし、男の味も鞭の痛みも知り尽くしている点は考慮してやる――と、付け加えました。並みの娘よりは過酷に扱うという意味でしょう。
 私は修道女の手で、鉄の首輪を嵌められました。この人たちが修道女かはすこぶる怪しいのですが、他に適切な呼び方も思いつきません。院長様は、紛れもなく院長です。ここが修道院であろうと施虐院(今思いついた造語です)であろうと。
 首輪には、後ろではなく前から鎖が垂れています。それが股間を割って後ろへ引き上げられ、首輪の後ろにある環で折り返されました。腕を背中へ捩じ上げられて手首が交叉する形にされて、二つの環が組み合わさった十字形の枷を嵌められました。
 首輪も手枷も半割になっていて、小さなボルトで合体させます。縄と違って、手が使えなければ絶対に自分では外せません。
 鎖がいっそう引っ張られて、割れ目にきつく食い込みます。並みの娘だったら、処女でなくても悲鳴を上げるでしょう。もちろん私だって痛いのですが、久しぶりの虐待に、腰が砕けそうになっています。
 腕もさらに捩じ上げられて、手枷が鎖につながれました。腕を掴んでいた手が放されると、自然と手首が下がろうとして、さらに鎖が割れ目を抉ります。そんなに細くないですから切れたりはしないでしょうが、私でも歩くのはつらいです。
 それなのに。院長様と司祭様が部屋から出て行かれると。
「おいでなさい」
 お継母様が鎖の前を引っ張ります。
「痛い……引っ張らないでください」
 私をお仕置きするのが趣味みたいなお継母様ですが、原因は私にあるのですから、憎いとは思ったことがありません。こんな嗜虐者の巣窟みたいな所へ私を連れて来たのがお継母様であっても――です。むしろ感謝したいくらいです。
 いえ、そういう話ではなく。だから、つい甘えてしまったと言いたかったのです。
「あら、そう」
 拍子抜けするくらいにあっさりと、お継母様は鎖から手を放してくださいました。お願いして、それを聞いてくださったのですから、感謝するべきでしょうが……落胆は早計でした。お継母様は、私の乳首を摘んで、思い切りつねったのです。
「ひいい……痛い」
 私の泣き言には耳もかさず、さらに引っ張ります。私は前へ歩むしかありません。
 ちゃりん、ちゃりりん。足を束縛する鎖を鳴らさないようお淑やかに――なんて気を配る余裕はありません。股間の痛みを和らげるよう、へっぴり腰のがに股で、お継母様について行きます。
 先を行くのは院長様と司祭様。四人の女性は姿を消しました。
 表口へと戻る途中で、廊下は右へ一本、左へは二本の枝分かれがあります。その二本の向こうには幾つもの扉があります。
 そのひとつが開けられて……とても見覚えのある室内です。煽情的で淫猥な赤っぽい色調の壁紙、男女の絡みや女性の受難を描いた卑猥な絵画、そして三人でも四人でも取っ組み合いが出来そうな(実際にするに決まっています)広くて豪奢な寝台。これはそのまま『踊る花の館』の貴賓室です。
 ここは、修道院を隠れ蓑にした売春宿なのでしょう。そして、フランカという見習娘の装い(?)を見るところ、ブルーノ様のような性癖の殿方を積極的に迎え入れているのでしょう。
 私の推測は当たっていました。分かれ道を引き返して、反対側の廊下の突き当りは、さっきの複数あった貴賓室をひとつにまとめたくらいの広い部屋になっていました。石畳の床と剥き出しの壁、手の届かない高さにある鉄格子を嵌めた明かり取りの窓。
 アンブラの牢獄を彷彿とします。いえ、遥かに恐ろしいです。三角木馬も、磔柱も、手足を引っ張る拷問台も、針を植えた拷問椅子もあります。天井には十を超える滑車が吊るされ、複雑な組滑車まであります。大きな鉄の箱には、中央を向いた面に幾つものガラスが嵌められています。水色がガラスの色でないとすれば、これは水責めの仕掛です。水責めの目的は拷問ではなく、中で苦しみ藻掻く女を『お客様』が鑑賞するのです。だから覗き窓が設けられているのです。
 その他にも、三角木馬をさらに残酷にした四角錐の台とか、棺のような箱とか。
 火桶もありますし、壁に掛けられた鞭や枷や焼床鋏(やっとこ)も種類が豊富です。
 明らかに、苦痛よりも女体に快楽を(心に屈辱を)与えるのを目的とした責め道具もあります。たとえば前後に揺れる橇を備えた首の有る木馬。背中は丸みを帯びていますが、怒張した男根の五割以上も太くて長い張形が二本、そびえ立っています。木馬の首には小さな巻取機から三筋の細い鎖が垂れています。鎖の先の小さな摘み金具を女性の突起に付けて木馬を揺らすのだと思います。
 もっと凄いと、見ただけで分かる道具もあります。平たい大きな箱から太い棒が突き出ていて、先端には“L”字形の角材が取り付けられています。箱の端からも短い棒が立っていて、こちらは弾み車らしい分厚い鉄の円盤で終わっています。私が目を奪われているとお継母様が、その円盤をゆっくりと回しました。円盤が三回転ほどもすると、角材が一回転します。“L”の横棒の先端が垂直の棒とつながっているのですから、“L”の縦棒は円を描きます。つまり――箱の上に立って“L”の縦棒を前後どちらかに挿入していれば、腰が淫らにくねるのです。角材の縁で穴を抉られながら。円盤を自分で回すという使い方も出来ます。手で回すのでしたら、程良い加減に出来るしょうが、逆に腰をくねらせて回すとなると、穴を角材に押し付けるのですから――私だったら絶頂に達してしまうかもしれません。試してみたいです。
 小道具も同じように、快楽と恥辱を目的とした物が揃えてあります。羽箒とか張形とか。
 けれど、最も肝腎な鉄格子の独房がありません。代わりに、小さな檻が四つ置かれています。そのひとつには、裸の女性が手足を広げて鎖につながれています。
「こやつは驢馬(アシノ)だ。これは懲罰でも拷問でもなく、みずからに望ませた信仰に基づく苦行だ」
 乳房にこびり付いた無数の小さな赤い斑点は、みずから望ませるための針による説得の痕跡でしょうか。
「本来は自分で身体を動かして転がらねばならないのだがな」
 その檻は他の三つと違って、球形をしています。司祭様が軽く押すと転がり始めました。周辺を囲った浅い枠にぶつかると、反対側へ転がります。たいした苦痛ではないのでしょう。女性は微かに呻いただけでした。
 こんなのが苦行なら、私だって説得されなければ望まないでしょう。それとも、こうやって転がされ続けるのは、経験豊富な(?)私でも想像できない苦痛なのでしょうか。
「本来なら、ここで軽く苦行をさせて当院についての理解を深めさせるのだが、おまえには、その必要は無いな。むしろ、苦行を体験させないのが、いちばんの苦行になるのではないかな」
 院長様のお言葉に、お継母様がくすりと嗤いました。何もかも見透かされているようで、落ち着きません。こんな光景を眼前にして、こんなふうに拘束されていて、落ち着くもあったものではありませんけれど。
 院長様と司祭様が、球形の檻に錘を取り付けました。閉じ込められているアシノの胴回りに当たる部分です。アシノは上下逆さにされて――両手はさっきよりも垂れています。拘束している鎖に余裕があるのです。たしかに、自分で転がるには身体を動かす余裕が必要です。
 檻の周囲六か所に錘を付け終わると、お二方は檻を回し始めました。司祭様が鉄格子をつかんで押しやり、院長様はあちこちへ動いて、檻がひとつ所で回るように突き戻しています。
「あああああ……お赦しください。目が回ります!」
 お二方は、檻が回るままにして、手を放しました。
「苦行の間も先ほどの貴賓室も、おまえたちが暮らす場所ではない。寮も案内しておこう」
 私はまたも、乳首を引っ張られて拷問いえ苦行の間から連れ出されました。
 表口から外へ連れ出されて、ぐるっと建物を半周して。そこには狭い裏庭を挟んで、石造りの平屋が建っていました。すべての窓に鉄格子が嵌まっていて、なんとなく牢獄を連想しました。事実、そこは修道女たちの獄舎でした。雑居房です。
 建物を強固にするために間仕切りの壁はありますが、扉の無い大きな開口部で、全体が大広間となっています。
 そこには五人の修道女が居ました。皆、素裸の上に幅の狭い肩衣です。お尻は剥き出しです。五人とも、真新しいか数日を経ているかの違いはあっても、鞭痕を刻まれています。仕事は――二人が糸を紡ぎ、二人が轆轤(ろくろ)を回して、残る一人は裁縫をしています。
 五人は一斉に立ち上がって、院長様たちを迎えます。十字を切ってから、肩衣の裾をつまんで横に引っ張り(股間が丸見えになります)腰を屈めて屈膝礼を執りました。院長様が頷いて横柄に手を振ると、五人は仕事に戻りました。ご主人様と女奴隷――そんな印象です。
 大広間の一画を三十ほどの寝台が占めています。殿方と二人で寝るには狭い寝台です。寝台には薄汚れた感じの敷布が掛けられていますが、すぐ下は簀子です。つまり、布団は許されていないのです。そして、寝台の四隅と両側に、鎖でつながれた枷が置かれています。
 寝台のひとつだけが使われています。首輪でつながれた全裸の娘が、片手を寝台から垂らして俯せになって……気絶しているのでしょうか。背中とお尻を生々しい鞭傷がびっしりです。緑色の膏薬が薄く塗られています。
「牝犬(カーニャ)、鳩(ピッショーネ)。ここへ来い」
 糸を紡いでいた二人が呼び付けられました。もう間違いはありません。ここの女性たちは、犬とか猫とか豚とかの蔑称で呼ばれているのです。お継母様の雉(ファジャーノ)は、むしろ優雅でさえありますけれど。
「それぞれの寝台に寝ろ。カーニャは安眠の姿勢、ピッショーネは反省の姿勢だ」
 二人は肩衣を脱ぎ全裸になって、隣り合った寝台に仰臥しました。そして、カーニャは手足を“X”字形に広げました。ものすごく覚えのある姿勢です。お継母様は、ここでの体験を私に反映させていたのです。
 ピッショーネは両手で足首をつかんで、お尻の穴まで天井に向かって晒す“V”字形です。間近に見ると、全身に様々な痕が鏤められています。鞭だけでなく、鎖、枷、そして焼鏝。どれも、いずれは消える程度にとどまっています。
 私は安心が九分と失望が一分です。ここでは真正の拷問は行なわれていないのでしょう。自白しなければ責め殺すのもやむなし――ではなく、末長く虐めて愉しむのです。
 司祭様が、それぞれの手足に枷を嵌めていきます。胴の下には鎖につながれた鉄板を敷いて、浅く曲げた鉄棒を反対側からお腹の上に載せ、ボルトで留めました。
「犯した罪によっては、さらに祝福を追加するときもある」
 院長様が胸の十字架を外して、ピッショーネの股間に突き立てました。
「ありがとうございます、院長様」
 ピッショーネの声は、本気で悦んでいるように聞こえました。
 院長様は十字架をしばらく抜き差ししてから、その部分をピッショーネの口に挿れました。彼女は熱心に、まるで男根に対するように舐めて、みずから零した滴りで汚れた十字架を綺麗にしました。
「もちろん、もっと厳しい祝福もある」
 司祭様も十字架を外しました。それを手に持って。
 バチャン!
「きひいいっ……!」
 細い鎖で割れ目を叩きました。
「乳首に祝福を与えることもあるし、尻穴を清めることもある。それは――おまえが入院の誓願をしてから、自身の身体で知れば良かろう」
 また、外へ引き出されました。もう必要はないと思ったのか、ただ飽きてしまったのか、お継母様は乳首で引き回すのをやめてしまいました。鎖すら引っ張ってくれません。私は自分の意思で歩かなければならないのです。駄々をこねてみようかなとも思いましたが、先々にも愉しみ(並みの娘なら恐怖)が待っているに違いないので、せめて股間の鎖の強烈な刺激を堪能しながら、素直に歩みます。
 しばらくは退屈でした。畑や畜舎の見学です。それぞれ数人ずつの修道女が、さほどの屈託も無さそうに働いています。ありふれた農村の光景です。全員が素裸という点を除けば。いえ、訂正します。二人だけは拷責――ここでは祝福と言うのですね。明らかにそれと分かる装具を身に着けて、つらそうに身体を動かしていました。
 奴隷労働を監督する役目の人は見当たりませんでした。決められた課業を達成できなければ連帯責任で祝福を与えられるのか、これを悦びとするまでに仕込まれているのか、それは分かりません。いずれ身を以て知ることになるのですから、もっと興味のあることに関心を向けます。
 それは年齢です。いちばん若い修道女は、私より一つかせいぜい二つくらい下です。それより若いと、殿方の淫欲をそそらないのでしょうか。それとも、この施虐院の過酷な祝福に耐えられないからでしょうか。いずれにせよ、院長様(あるいはお客様たち)は、それなりの節度をお持ちらしいです。
 誰しも今よりは若くなれないのですから、ほんとうに関心があるのは『上限』です。ざっと見たところでは三十半ば、せいぜい四十手前でしょうか。化粧も無しで、乳房やお尻の弛みも隠せないのですから、小娘の見立ても、そうは外していないでしょう。
 お継母様のよう幸運に恵まれなくても……二十年から先のことなど、今から気に病んでも仕方のないことです。
 退屈な見学が続いた後には、久しぶりの官能が待っていました。
 礼拝堂へ連れて行かれて。
「おまえには、これくらいは虐めてやらんと引導を渡してやれぬだろうて」
 手枷と首輪を外されました。何がこれくらいなのか、どきどきします。
 院長様と司祭様が、衣服をすべて脱ぎ去りました。年配の院長様も勃起させています。お若い司祭様はいうに及ばずです。うわあ、そっちです。
 あれ、でも……?
 お二人は向かい合って床に座りました。互いに、相手の左の太腿に右足を乗せて、さらににじり寄りました。
 ああ、そうか。二本の男根が並んで(年齢相応の角度で)勃っています。
 お二人は細長い袋を男根にかぶせて、その上から油のようなものを垂らしました。
「娼婦の技を見せてもらおう」
 お安い御用です――とも言えません。前後の穴を同時に使っていただくことに異存はありません(むしろ大歓迎です)が、奇妙な仕掛が薄気味悪いです。
「あの……それは、何なのでしょうか?」
 司祭様が不思議そうな顔をしました。
「娼婦のくせに知らんのか」
「いや、娼婦だから知らんのだろう。そうそう使い心地の良い物ではないからな。客が怒る」
 院長様が教えてくださったところによると――これは羊の腸だそうです。これをかぶせていれば、子種が女の穴に入るのを防げる。つまり妊娠の心配が無いのです。油を垂らしたのは、ごわごわした袋の滑りを良くするためだとか。
 それと、もう一点。事前にお尻の中を綺麗にしておかなくても良いのです。少なくとも、殿方に不都合はありません。
 納得はしましたけれど、使い心地が悪いというのが気がかりです。張形には張形の良さがあるのですから、生身と張形の中間みたいなこれが良くないとも思えません。悪いというのは、殿方のほうです。快感を犠牲にしてまで女と媾合う意味が分かりません。私の気持ちまで重くなります。
 でも、久しぶりの媾合いです。お継母様の眼の前だからといって、ためらいはありません。かつてどころか今でさえ、お継母様は被虐修道女そのもののようですから。同類の先輩です。
 では、気を取り直して……そこで、二本を同時に挿入しなければならないと、気づきました。木馬の背中に生えた木の棒ならまだしも、肉の棒はどんなに硬くても動いてしまいます。うまく出来るでしょうか。
 どちらをどちらへ挿れろとは、言われませんでした。それなら、天を衝いている司祭様が後ろです。それだけ硬いでしょうから。お偉い院長様にお尻を向けて礼を失する恐れもありません。
 私はお二方を跨いで中腰になり、背中から右手をまわして司祭様の怒張を握りました。腰を沈めていって、お尻の穴にあてがいます。同時に、左手で院長様を女の穴へ導きます。
「うんっ……」
 穴のまわりから力を抜いて、さらに腰を沈めました。
 ずぶっ……にゅるん……
「あはああっ……」
 油の滑りが良く効いて、至極簡単に嵌まりました。ひと月以上も御無沙汰していた感触です。愉悦の吐息が漏れました。
 この形では、お二方が下から突き上げるのは難しいでしょう。私が動かなくては。でも、すぐには動けませんでした。これまでずっと傍観者だったお継母様が、“V”字形の貞操帯(でしょうか?)を抜き取ったのです。赤く絖った割れ目と、それを取り巻く……極端に細長い繁みです。娼婦みたいに手入れをなさっているのでしょう。そういえば――それくらいはちっともたいしたことではないように思えるくらいに衝撃の連続でしたので、目にしても心が動くどころではありませんでしたが。修道女も様々に手入れをして(されて?)いました。狭く短く刈り込んだ股間もありましたし、無毛もありました。そこに焼鏝の跡も。さすがに消えない焼印は見かけませんでしたけれど。
「私の失礼には、後ほど祝福をお与えください」
 後で罰してくださいという意味でしょう。お継母様は院長様の頭を跨いで、私の眼前に股間を突き付けました。
「二本だけだと、お口が寂しいでしょ」
 何を求められているかは明白です。娼館で経験も積んでいます。でも、でも……相手はお継母様です。血のつながりがないとはいえ、母として十五年に渡って接してた人なのです。
「厭です……いえ、あの……畏れ多いです」
 拒否の言葉に、ためらいと譲歩が交じってしまいます。
「儂からも命じる。ファジャーノに奉仕せよ」
 院長様までが、当然のようにけしかけます。
「神よ。この淫売に祝福を与え給え」
「きひいっ……」
 司祭様が、私の女の芽をつねりました。莢を剥いて雌しべに爪を立ててひねくります。
「儂からも祝福を与えよう」
 院長様が二つの乳首を同じようにつねって、思い切り引き伸ばしました。
「くううううっ……痛い!」
 私は歯を食い縛って、甘い激痛に酔い痴れました。ところが、私が降参しないうちに三つの突起から指が離れました。
「ああっ……もっと虐めて、いえ、祝福を……」
「ならば、ファジャーノに奉仕せよ」
 私は禁忌の念をかなぐり捨てて、目の前の割れ目に接吻をしました。
「みずから祝福を求めるとは……まったく、いつもとは逆ですな」
 司祭様の声には苦笑いが混じっています。ええ、そうですとも。私は並みの娘とは正反対で――虐められると悦ぶのです。でも、あなた方は、そういうふうに修道女を仕込もうとしているのではないですか。
 余計なことを考えただけ、奉仕がおろそかになっていたようです。お継母様がじれたように私を叱ります。
「子供の遊びではありません。もっと真剣になりなさい」
 院長様が乳首を軽く摘まんで、すぐに指を離します。司祭様が女の芽をくすぐります。こんなじれったい愛撫は厭です。もっと鮮烈な激痛を……
 私は割れ目にかぶりついて、本気で奉仕を始めました。割れ目の縁を何度も舐めて、内側の花弁を甘噛みして、鼻まで割れ目にうずめて舌をうんと伸ばして、女の穴を掻き回します。女の芽を虐めれば簡単なのですが、装身具の留め金で蓋をされています。
「ああっ……上手だわ。いったい、どこまで仕込まれているのかしら。淫らな娘ね」
 かつては、そう蔑まれることに恥辱を感じていましたが、今では誉め言葉にしか聞こえません。三か月の娼婦生活で仕込まれたすべてで、お継母様を追い上げてみせます。
 ずちゅうう、ずぞぞぞ……花弁が震えるように息を吸ったり、穴を膨らますように吹き込んだり、また啜り込んだり。
 私の熱心さを愛でて、院長様も司祭様も祝福を与えてくださいます。
「きひいいいいっ……痛い……」
 わざと悲鳴を上げます。それで、お継母様の割れ目も震えるのです。
「いい加減で腰を遣わんか」
 女の芽を引っ張られました。腰を浮かすと、乳首を下へ引っ張られます。それで腰を落として、縮れ毛で肌が擦れるまで深く咥え込みます。こんなふうに支配され操られるのが、私には似合っています。でも、じきに――突起を引っ張られて動いているのか、突起で指を引っ張っているのか分からなくなって、どんどん動きが速くなっていきます。
 お継母様も私の頭を押さえこんで、股間に密着させてくださいます。
 羊の腸の袋のせいで、殿方は射精の気配もありません。私が先頭に立って坂を駆け登り、同時にお継母様を引き上げている。でも、お継母様は遅れ気味です。
 そして、とうとう。私だけが目もくらむ断崖絶壁から宙に身を投げたのです。
 ほんとうに性の狂宴を愉しむつもりなら、私を余韻に浸らせたりせずに、いっそうの祝福を与えてくださるのでしょうけれど……お継母様は身を引いて、院長様は私を横へ突き飛ばしました。
「さて……この娘は、もはや見習を経ずとも誓願をする資格を有しておる」
 院長様が身繕いをしながらおっしゃいます。
「されど、そこまでの例外を認めるのもよろしからぬ。よって、ただいまより明後日の夕刻までを見習として遇する。そして爾後を『内省の夜』とする」
 『内省の夜』とは何なのかは誰も教えてくれませんが、見習の意味は直ちに我が身で知りました。
 裏庭へ連れ出されて井戸水(聖別されているそうです)で身体の汚れ――主にお尻まわりを清められて。フランカと同じような姿にされました。腕を背中高く捩じ上げられて、掌を合わせた形で縛られたのです。指も一本ずつを紐で縛られました。丸い革の袋に詰め物をした猿轡を噛まされ、革紐で頬を縊られました。これでフランカと同じになりましたが、私にはさらなる苦行が追加されました。
 まず、乳房の根元を首から垂らした縄でぎちぎちに縛られました。お継母様に比べると同じ乳房という言葉を使うのが恥ずかしくなるくらいですが、形としてはお継母様より美しかった膨らみが、小さな鞠みたいに無様になりました。縄はそのまま下へ向かい、大きな結び瘤が作られて、それが割れ目に埋め込まれました。お尻をくぐって縄が引き上げられ、二の腕の高さで左右に分けられ、乳房を外へ引っ張ります。
「これが、おまえに与える十字架だ」
 そう見えなくもないのでしょう。
 私としては十字架よりも、背中で手を祈りの形に捻られているせいで、肩が脱臼しそうなくらいに痛いです。
 まさしく苦行の姿で、礼拝堂に付属する告解室へ入れられました。硬い丸椅子に座ると、ますます縄が股間に食い込んできます。お尻の穴も擦られます。苦痛が増して、垂れる蜜も濃くなってきます。
 私と向かい合うのは司祭様。顔を隠す仕切などありません。代わりに小机がふたりを隔てています。
「ここで暮らせばすぐに分かることだが、いちおう説明はしておこう」
 修道院の成り立ちについて、ひと通りの説明をしてくださいました。
 在籍している修道女は見習のフランカを含めて十九人。私で二十人になる予定です。これに対して殿方は八人。院長様(司教様です)と司祭様と二名の助祭様。そして雑用を兼ねた衛兵が四人。
 売春宿にしては大きいな――くらいに思っていたら、大間違いでした。歩いて半時間と掛からないところに小さな村があって、そこの数少ない村人は、すべて修道院が雇っているのだそうです。そこは、修道院を訪れる賓客の従者が宿泊する場所でもあります。娼館にこそこそ通うのではなく、護衛兵と小姓や小間使い、人によっては料理人まで引き連れて、堂々の訪問あるいは視察だそうです。滞在も数日に渡ります。『踊る花の館』とは桁が違います。
 その賓客ですが。基本的には、この修道院の庇護者と援助者(どう違うのかは教えてもらえませんでした)、ときにはその貴顕たちからの紹介者だそうです。身元はしっかりしています。
 だから、院内の様子は絶対に壁の外には(配下の村も含めて)知られないだけの配慮が払われています。万一にも修道女が脱走しようものなら、たとえ近衛騎士団を動員してでも探し出して、即時の密殺です。
 さいわいに、そういった不祥事は創設以来三十六年間、一度も起きていないそうですが――私にはどうでも良いことです。それよりも。王侯貴族や大商人であれば変な病に罹っていないでしょうから、とても安心です。
 ここまでは雑談めいたお話でした。司祭様も四角四面に座ってばかりではおられずに、私の背後から身をかぶせて乳房を弄ったり、縦に股間を割っている縄を揺すったりして、遊んでくださいました。先程は、引導を渡されたのは私だけで、院長様も司祭様も埒を明けておられませんから、そのせいかもしれません。
 けれど、講義といいますか本格的な勉強(?)が始まると、司祭様が席を立つことはなくなりました。
 最初に教わったのは、この修道院に名を冠している聖エウフェミア様の殉教についてでした。
 彼女は異教の神への供物を拒んで投獄され、十九日にも及ぶ拷問にも屈さず信仰を捨てませんでした。その様子を写した絵画を見せられ、微に入り細を穿つった説明もいただきました。爪を剥ぎ指を折り女性器まで破壊するという、アンブラで私か受けた拷問など児戯に類する凄まじいものでした。最期は闘技場の中で異教の群衆の見世物にされながら、熊に強されて絶命したそうです。
 そんな彼女を、私は羨ましいとは思いません。死刑の恐怖から救出されたとき――実は私を非公式に解放するための狂言だったと、今では理解していますが――私はすこしだけ変わったのです。死んだり不具になったりしない程度に末長く虐めていただくのがいちばんの幸せではないかと。
 聖エウフェミア様の事績の次は聖書の勉強です。小机に巻物が展げられましたが、私には読めません。同じ文字を使い綴りも似ていますが、聖なる言語を理解できるのは聖職者と一部の学者だけです。司祭様は巻物の文字を読み下しながら、順に翻訳してくださいました。そして、適宜に注釈とか解説を補ってくださったのですが……まさに、目から鱗が落ちる驚天動地の思いになりました。
 聖書の始めの方に、アダムとイブの息子たちが妻を得る話があります。
「神はアダムを造り給い、その肋骨から伴侶たるイブを造り給うた。他には人間をお造りになっていない。では、二人の間に産まれた息子たちは、どこから妻を娶ったのだろうか」
 そんなことは考えたこともありません。
「答はここに書いてある」
 巻物の中ほどが開かれました。アダムとイブの息子たちは、彼らの姉妹と結ばれたのだそうです!
 教会の教えでは、近親姦は殺人にも匹敵する罪です。それを全人間の始祖が犯していたなんて。世界の表と裏、上と下がひっくり返ったような衝撃です。
 でも、世界の始まりにはアダムとイブしか居なかったのですから……筋道立てて考えれば、そうとしかなりません。
 司祭様は別の巻物を展げて、追い打ちを掛けてきます。
 すべての動物がひとつがいずつしか生き延びなかったノアの方舟も同じこと。それどころか、ソドムに降り注ぐ硫黄の火から逃れて山に隠れた父娘は――娘が父を酒に酔わせて、みずから父に乗ったのです。
 茫然自失です。何が正しいか分からなくなりました。並みの娘なら、女は男から苦痛を与えられることこそ真の悦びだと説かれれば、そのまま受け容れるかもしれません。
 でも、私はそこまで自己を見失いません。苦痛が悦びなのではなく、女を苦しめることで淫らな悦びに浸る男を得て、自分がその男にとって肋骨以上の存在であると実感できる。それが女の悦びなのです。すくなくとも私は、そうなのだと思っています。
 肩の痛みも乳房を搾る縄も股間への食い込みも忘れてしまうほどの衝撃の裡に、この日の勉強は終わりました。
 見習修道女の装いのまま寮へ連れ戻されて、そこで縄をほどいてもらえました。
「おまえは見習の身であるから、神の御前に一切を曝し出しておれ」
 全裸のままで過ごせという意味です。フランカも私と同じ姿です。
 すぐに夕食の時刻になりました。寮の横にある粗末な厨房で、当番の修道女が作った食事です。
 寝台の敷布に小さな布が重ねられて、そこに皿が置かれます。修道女は床に跪いて――囚人なら当たり前の手掴みではなく、きちんと食器を使って食べます。私とフランカ、そして過酷な祝福の傷で静養していた鶉(クワーギア)さんの三人だけは全裸で、残りの十二人は肩衣を着けたままです。
 私を含めて二十人にまったく満たないのは――あの広い拷問の間で泣き叫んでいるか、それが終わって賓客の豪勢な食事のご相伴(彼女の食卓は床だと思います)に与っているかのどちらかに決まっています。
 娼売が出来る十七人のうち十二人もがお茶を引くなんて、大赤字もいいところと思いましたが、すぐに考え違いに気づきました。『踊る花の館』でも、娼婦の身体を傷付けるような遊びをするお客からは数日から一週間分の花代を取っていました。ここの賓客はそういう遊びをする人ばかりでしょうから、これ以上は娼婦(ではありませんでした。修道女)の身が保たないでしょう。
 清貧を旨とする修道院(というのが、ここでも当てはまるかすこぶる怪しいですが)にしては、この食事は豪勢ではないのはもちろんですが、貧しくない平民の食卓よりは豊かなくらいです。ほとんどが自家製ですから、とても新鮮です。
 考えようによっては、何年も拷問ではなく祝福に耐える体力を維持して、しかも嗜虐者の眼鏡に適う女体でなければならないのですから、少しくらいの贅沢は必然でしょう。
 食事が終わって、皆で後片付けをして。部屋の隅の蓋付きの桶で用を済ませて。就寝前のお祈りも済ませました。これまでの生涯でも十指に入る波乱万丈の一日も、ようやく終わろうとしています。私は疲れ果てた気分です。


継母の嗜虐愛

 でも、まだ続きがありました。

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 なのです。修道院での第1日はまだ続きます。
 ちなみに、1本場の章題を英訳すると……MamMother Strange Love by Stanley Kublic になります?
 でもって、2本場は『三位一体の日』です。
 父と娘と性隷の3Pです。
 1本場と2本場は「賞味期限付」にしますので、お見逃し無きよう。
bound nun



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